研究員紹介
佐久間 政広(教養学部地域構想学科)
実証研究にとっての理論



1.理論と実証の乖離

 私は、社会学を専門としています。これまでの私の勉強ないし研究では、次の二つに多くの時間とエネルギーを費やしてきました。一つは理論社会学、なかでもドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの社会システム理論に関する研究です。もう一つは、現実の農山村を対象とした、農村社会学の手法を用いた実証研究です。

 研究をおこなっている実際の姿を描くなら、これら二つはまったく対照的です。前者は研究室に閉じこもり、机にしがみついてドイツ語の文献をひたすら読み、きわめて抽象的な事柄を論じている文章を前に「どういう意味なのか」と唸り声を上げている姿。それに対し後者は、大学の研究室を離れて農村や山村に足を運び、農家の方々や、山村の高齢者の口からこぼれ出てくる言葉を書き留めようと、必死にメモをと っている姿です。

 では、これら二つの姿、ルーマンの社会システム理論に関する研究と農村社会を対象とした実証研究は、私自身のなかでどのように結びついているのか。この点については、正直に「結びついていない」と答えざるをえません。私はルーマン理論に関する研究と農村社会の実証研究を、一方の他方に関係づけることなく別々におこなってきました。これまで社会学のなかで問題視されてきた理論と実証の乖離は、私個人のなかにそっくりそのまま再現されています。


佐久間先生の写真
(さくま まさひろ)
1976年 新潟県立新発田高校卒業
1981年 東北大学文学部卒業
1986年 東北大学大学院文学研究科博士課程後期満期退学
1986年 東北大学文学部助手
1988年 東北学院大学専任講師
1993年 東北学院大学教養学部助教授
2004年 東北学院大学教養学部教授
2.農村調査経験のはじまり

 この研究員紹介の文章では、私の農山村を対象とした実証研究についてふり返ってみます。私が初めて調査者として現実の農村を経験したのは、大学3 年生のときの授業(社会調査実習)で実施したコミュニティ調査においてです。一週間近くの日程で、岩手県旧金ヶ崎町の農家の方々に対して、持たされた調査票に基づいて 1戸あたり2 時間にもおよぶインタビューをおこないました。ある 40 代なかばの男性から、多数の質問に快く答えていただいた後、次のように問いかけらました。「あんたは大学生だから頭いいんだろ。農家がこれからどうやって生きていったらいいか教えてくれ」。米価が低迷し、減反政策が本格化した時期でした。この問いに対して何も答えることができませんでした。社会的現実に圧倒されるとともに、調査する者(ないし社会学)の無力さを痛感した経験でした。

 大学院で学んでいた 20 代後半は、愛知県安城市での農村調査に膨大な時間を割きました。当時としては破格の、一人あたり 10ha 強を経営する 9 名で構成された稲作受託組織と、それを可能とした地域社会が研究対象でした。安城市の農村は、トヨタ関連下請け工場が林立し、豊富な農外労働市場が展開していました。農家のほとんどが兼業農家であり、生計はもはや自家の稲作に頼る必要はなく、所有する田畑は資産の意味しかもっていません。対象とした稲作受託組織は、そうした田の経営を安い受託料で引き受け、政府の補助金で装備した大型稲作機械を用いて、大規模な稲作をおこなっていました。30 代前半のメンバーが「年収? 手取りで1000 万」とこっそり教えてくれました。当時の農政が推奨する優良事例でした。

 この安城市での調査は、私の指導教員を中心とする研究グループで実施されました。夏休みや冬休みには必ず一週間は現地に滞在してインタビューや資料収集をおこない、大学では借用した膨大な資料のコピーとその整理に明け暮れました。机をならべる院生仲間からは「工場労働者」と揶揄されていました。

 この安城調査によって、私は農業の現状や農村社会について無数の事柄を知り、連名で何本かの論文を公表することができました。ディープな調査だったと思います。しかし、私には、研究論文を書いた、という実感はありませんでした。地域社会の現実に目を見張り、いくらデ ータや資料を集めインタビューを重ねても、決定的な何かが欠けているがゆえに、研究にならないことがわかっていました。苦しい時代でした。

3.実証研究の転機

 安城市のような大規模稲作組織は、例えば多数のトヨタ関連下請け企業の存在による豊富な農外就労機会、潤沢な政府補助金、地域社会の支援等いくつかの条件がみたされて初めて可能となったものです。農外労働市場のあり方をはじめ条件がまったく異なる東北地方では、こうした受託組織を実現することは不可能に思え、さらに労働生産性のみを追究する当該の受託組織には、農業のあり方として疑問を抱くようになりました。「別の道もあるのではないか」と考え、30 代以降、私は調査対象地を東北の農山村に変え、宮城県角田市や旧南郷町などに出歩くようになりました。そのなかで宮城県七ヶ宿町の高齢者たちと出会い、そこで悩み考えたことが、私の研究の転機となりました。

 七ヶ宿町は、3 軒に 1 軒が高齢者世帯という過疎高齢化の著しい山村です。「車のない高齢者世帯の通院手段は」「スーパーもない所で買い物は?」等素朴な疑問をもって、1992 年に初めてゼミの学生たちと一緒に七ヶ宿を訪れました。翌年、50 戸弱の集落に対して実施した悉皆調査により、高齢者世帯の生活に関して次のような点が明らかになりました。@高齢者たちは「ここが一番」「ずっと住み続けたい」という強い定住志向を有し、都会の子供宅での同居はできるだけ避けたい最後の選択肢であること。A 彼らの生活は自身の努力と、他出した子供の援助によって維持されていること。B隣近の助けを借りて生活している高齢者世帯は存在せず、一方向の恒常的な援助はおこなわれていないこと。

 調査対象集落は、藩政期からの歴史を有し、住民たちは旅行に行けば必ずお土産を配りあい、日常的に互いの家にあがりこんでお茶のみをおこなう等の濃密な近所づきあいをおこなっていました。しかし、高齢者世帯に対して、日常的な場面では近隣の家々から援助がなされていない。これは、「農村=仲が良くて助け合う社会」といったステレオタイプのイメージを裏切る事実です。なぜ近隣は高齢者世帯を助けないのか。謎でした。

 たまたま東北大院生の修士論文の指導に呻吟していたとき、偶然、その答えに行き着くことができました。これにより、初めて実証研究において自分の「論文」を執筆することができ、そこに上記の謎に関する以下のような私なりの解答を書き記したのです。以下がそれです。

 …前略…Y地区の村落社会において、現象的には、高齢者世帯の農業経営や日常生活に対する一方向的な援助はみられないのである。

 このような事態について、以下のように解釈できよう。高齢者世帯に対して近隣からの援助がみられないという事態を、「助け合い」なり「互助」が原理的に消失してしまったからと考えてはならない。そうではなく、村落において「互助原理」が貫徹しているがゆえに、現象として高齢者世帯を対象とした「助け合い」がみられないのである。

 細谷昂が指摘するように「日本の村は、家がその生産と生活が一戸だけ孤立してはなりたたないかぎりで、その「生活保障」の機能の補完のためにさまざまな協力関係を保ってきた」のであり(細谷昂、1998、521 頁)、村落の構成単位は家にほかならない。こうした村落の協力関係は、それぞれの家の生産と生活の再生産を維持することを目的とし、一軒前の家という点において対等な家と家との関係として取り結ばれている。それゆえ、他の家から援助を受けたなら、その援助は返さなければならない。例えば、各農家の農作業を相互に手伝いあう「ゆい」はあくまで、相互の等量の労働の交換である。こうした互酬性原理のもとで取り結ばれる協力関係において、援助を与える側からすれば、みずからの家の生産と生活の再生産に他家の助力が必要だから「助ける」のであり、返される見込みのない援助をおこなう理由はいささかもない。他方、「助けられる」家にとって、もし返すあてのない一方向的な援助を受けたなら、それは、援助を与える家とみずからが対等な関係にあることの放棄を意味する。この場合、保護−被保護という従属関係のうちに自身を貶めることになる。村落を構成する家としてそこに定住し、村落の他の家々に対等な一軒前の家として認められ続けるためには、「助けられ」たら「助け返さ」なければならず、もし返すあてがないのならむしろ「助けられない」ことが選ばれるであろう。

 以上のように考えるなら、あとつぎ世代が他出してしまったがゆえに、「助けられる」ことはあっても「助け返す」見込みのない高齢者世帯に対して、近隣の家々が一方向的な援助を与えることがないのは当然の事態といえよう。他方、村落社会のなかで定住を望む高齢者世帯が、村落の一員として他の家々と対等の立場でつきあうために、返すあてのない援助を受けないこともまた納得される。…後略…

佐久間政広「山村における高齢者世帯の生活維持と村落社会 ―宮城県七ヶ宿町Y地区の事例」『村落社会研究』第 10 号,1999 年


 七ヶ宿町の高齢者世帯の生活維持活動に関するこの研究が、私の実証研究の転機になりました。「ゆい」を典型とする家と家との相互扶助活動の原理に即して考えるなら、日常的な場面において高齢者世帯に対して近隣から一方向的な援助がなされないのは、いわば当然のことであり、十分に説明が可能な事態です。この説明を手に入れたことは、私にとって「目から鱗が落ちる」体験でした。

 この互助原理をさらに一般化し、文化人類学において研究が深められてきた贈与論にまで視野を広げるなら、贈与交換/市場交換/純粋贈与等の理論枠組みによって現地調査においてこれまで疑問だった事態のいくつかが説明できます。「実証研究は理論があって初めて可能となる」「実証には理論が不可欠」という、実証研究の手引き書に必ずといって記されている文言が、まさに身をもって体感されたのです。


※ このページは、2011年3月刊行の『人間情報学研究 第16巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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