研究員紹介
津上 誠(教養学部言語文化学科)
異文化理解を通じて現代日本社会を考える



 私の専門は文化人類学です。文化人類学者はほぼ例外なく世界のどこかに自分の調査地を持 っていますが、私の場合はボルネオ島で、特にこの島の先住民の一派であるカヤン人について1985 年以来、住み込みの調査を重ねてきました。家族、親族、村、社会階層といった社会組織の姿、生業としての焼畑耕作と土地利用の様子、精霊・死霊・至高神に関わる宗教観念や儀礼的行為のあり方など、彼らの生活の様々な側面を見てきました。とはいえ私は自分がボルネオ島の専門家だと思ったことはあまりなく、むしろ、ボルネオ島諸社会における異文化理解を通じて自文化の相対化に向かうこと、そして他の様々な異文化の理解と自文化相対化の間の往復運動をすることによって普遍的人間像を素描すること、これら2つが自分の仕事だと思っています。

 自文化の相対化ということについて、一例を挙げて説明しましょう。私はカヤン社会の調査を通じて、彼らの「家族」が、その住まいの見かけによらず、私たちの考える「家族」とは違い、心理的な壁を非常に薄くしか持っていないことに気づきました。彼らの「家族」には一体性が重視されたり家名があったりということがありません。それどころか、カヤン語には「家族」に相当する一般名も存在しないのです。ある「家族」が全体として所有しているように見える土地や財産(財宝や生活用具など)については、実は家族共有ではなく家族の一人一人が個別に所有する意識が強く見られます。これらのことからカヤン社会の「家族」は、極端な言い方をすれば、食をプールし分かち合うために暫定的に身を寄せ合っている人々だと言うことができるのです。個々人は、家族の内部であるか外部であるかに大きな段差を設けることなく、それぞれ独自に親族ネットワークを持っており、一人一人にとっての親族的絆が家族の壁の内側に排外的に閉じこめられていることはありません。むしろ彼らの「家族」とは、そういった親族の網の目を人為的に切り取るようにしてのみ存在すると言った方が正しいのです。


津上先生の写真
(つがみ まこと)
1974年 東京都立広尾高等学校卒業
1980年 立教大学社会学部社会学科卒業
1984年 東京大学大学院社会学研究科文化人類学専攻修士課程修了
1989年 東京大学大学院総合文化研究科文化人類学専攻博士課程満期退学
1989年 郡山女子大学短期大学部専任講師
1996年 東北学院大学教養学部助教授
 きりがないのでこれだけにしますが、カヤンの、例えば家族のそういう様子を理解し、しかもできるかぎり的確な言葉で記述するのは、大変で重要な仕事です。しかし私としては(学生にいつも言っているように)、異文化理解を異文化理解で終わらせず、それを通じて、現代日本社会を生きる私たち自身の姿を異化して示す必要があると考えています。カヤン家族の例で言えば、その様子を理解することを通じて、私たちが当たり前に考えている家族(「近代家族」)が、いかに閉鎖的でプライベートな「愛情共同体」でなければならないとされ、どんなに心理的な壁を厚くしているのかが、浮かび上がってくるということです。自文化の相対化とは例えばこういうことです。

 私の最初の調査は1985年から1987年までの2年間近くで、このときはカヤン語の習得から始め、特に社会組織について詳しく調べました。上のような家族の考察もそのころの調査が元になっています。その後しばらくの間、調査頻度を少なくしていたのですが、2000 年以来、4年継続の科研共同調査に2回携わる機会に恵まれました。1回目はボルネオ島先住諸民族の自然環境認識を比較する共同研究、2回目のものはその延長線上に位置づけられるもので、先住民における自然災害の受け止め方を比較する共同研究でした。どちらもボルネオ研究者6名くらいの共同研究でしたが、調査はみな個別で行っています。

 私が調査してきた地域のカヤン人らは政府による巨大ダム建設のため、1998 年、政府が準備した土地に移住することを余儀なくされましたが、私は科研共同調査のおかげで、彼らの新天地での生活を毎年のように見に行くことができました。共同研究テーマ(自然環境認識および自然災害観)との関連では、彼らの移住経験や新天地における生活資源獲得の様子を探りました。各家族に3エーカーの土地をやるから換金作物で暮らせという政府の意向を無視するかのごとく、彼らは政府保有地の不法利用を通じて移住先でも焼畑陸稲耕作を大々的に始めていました。新しい環境に置かれた彼らを見ることによって、彼らの食料獲得をめぐる世界には市場経済とは別次元の生活の流儀(とりわけ食物自給と贈与交換)があること、また移住先の土地の精霊や死霊に配慮しようとする態度からして、彼らにとって霊的存在のリアリティは相当強いものであることが、よく理解できました。食物自給と贈与交換ということについて触れておくなら、移住先では様々な理由から狩猟による肉獲得がほぼ不可能になり、肉をキロいくらかで買うのが普通になっていましたが、そのことについての彼らのぼやきは、「何で肉にこんな高い金を出さなければならないんだ」というものではありません。高いか安いかが問題なのではなく、彼らには肉に金を払うこと自体が本当はあり得ないことなのです。肉とは狩猟して得るか人から貰うかどちらかのものでしかないわけです。同様に、彼らは換金作物で金を稼いで米を買うという発想にも到りません。手間がかかることがわかっていても自分で食べる米は自分の手で作るものなのです。

 さて、我々自身について考える材料をカヤン社会の様々な生活側面の調査から得る、という私の研究姿勢を中心に述べてきました。しかし、研究者としての私には、必ずしもカヤン社会から出発していない側面も沢山あります。そもそも大学で教えている以上、いつも調査地に入っているわけには行きません。授業で何を話すか考えたり、学生の研究につきあったりしなければなりません。しかし、そういう仕事をしているうちに気がついたら一種の研究が始まっていたということが、ときどきあります。

 最近で言えば、私は人間社会を交換を鍵にして考察することに関心を持ってきましたが、これもいくつかの授業を担当させていただいたことから生まれてきた興味です。交換のあり方を見るというのは、カヤン社会と現代日本社会を対比するときのみならず、前近代と近代の異なりを考えるときにも、イスラーム社会の特性を探るときにも、大いに役立ちます。また、家族とは何か、友だちとは何か、民族とは何か、といった問題を考えるときにも、参考になります。人と人(人と神でもよいのですが)の関係のあり方というのは、交換のありかたの問題だからです。今もそれに関連して「家」制度に関する論文を1本書いているところです。

 ゼミ指導や卒論指導についてまで言ってしまえば、死生観、身体観、身内論、近代家族論、イスラーム社会論、儀礼論、災因論、贈与論など、これまでに述べたこととも関連のある話題を、カヤン社会という文脈にこだわらずに扱っ
ていますし、ジェンダー論、日本社会論、「民族」論、アイデンティティ論などについても、学生と共に読んだり考えたりしています。これら多種多様な分野についても私は自分が専門外だと言ってはいけないと肝に銘じています。学生と先行研究を共に学び、学生と共に新たな考察を加えようとする限りで、それぞれについて独自の視点を持つ「研究者」たろうとしています。

 私たちの身体に染みついた日本土着文化、あるいは既に身体化されてしまっている近代社会の常識、あるいはまた声高に語られる近代の正論など、どのような部類の「自文化」についても、その当たり前は実は当たり前ではないのだと指摘することが、文化人類学者の仕事だと思 っています。カヤン社会から出発しようがすまいが、その点では同じだと私は考えるのです。


※ このページは、2010年3月刊行の『人間情報学研究 第15巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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