研究員紹介
下館 和巳(教養学部言語文化学科)
学び始めた頃



 私は、大学一年生との授業が好きです。それは、自分が大学に入りたての頃の気持ちを春ごとに追体験できるからです。仙台から東京に来て、一番印象に残っているのは、浅草に住んでいた母の叔母のところを訪ねた時に嗅いだ沈丁花の香りです。自分の人生が始まる。そんな気持ちになりました。不安がある、それ以上に大きな期待と夢がある。私は、高校時代からシャ ーロック・ホームズを愛読するうちに、ロンドンが、イギリスそのものが好きになりました。

 小学生の頃は、海産物屋の父の影響で、海洋牧場を経営したいと思い、中学生になると合唱コンクールで指揮者をやっていたこともあって、オーケストラの指揮者になりたいと思い、高校生になると英語が好きになって、なぜか外交官になりたいと思うようになりました。そんなこともあって大学一年生の時から外交官試験に関わる科目を熱心にとっていました。当時、大学に緒方貞子先生がいらして、国際関係論や国際連合、国際法などの講義に出ていた記憶があります。小柄でとてもやさしい声で話されるので、いつも一番前で聞いていたような気がします。

 しかし、ある日、友達と一緒に外務省試験要項を読んでいて「色弱不可」という一行を見つけ、ひどく落ち込んだのを覚えています。その頃、友達に誘われて演劇部に入っていましたが、どうにも仙台訛りのせいで、せりふのある役はもらえず、これまた落胆して、英語劇部に望みをかけて移ったのです。しかし、どうにもうまくいかない。海外留学経験もない、仙台から出て来たばかりのちょっと英語が得意なだけの18才の英語は、まったく相手にされませんでした。日本語にあるとすれば英語にも訛り、つまりアクセントというものがある。イギリス・アメリカからの帰国子女に溢れたその英語劇部では、アクセント(自然な英語の香りといってもいいかもしれません)がない、ということでやっぱりもらうのは端役ばかり。このままだと逃げてばかりいる人生になると自信をなくしていた私を、おそらく神様が、一冊の本に出会わせてくれました。渡辺温という人の書いた『アンドロギュロスの末裔』という小豆色の表紙の本です。その中の「ドリアングレイの絵姿」という物語に私は魅せられ、そこからその源泉となったオスカー・ワイルドの小説を舐めるように読むのです。これが初めて原文で読んだ小説です。同時代のホームズの著者コナン・ドイルの文体とも違う、なんともいえない香気のたつ優雅な英文に我知らずのめり込みます。外交官の夢を諦めたこの頃、斉藤和明先生の英文学史を受講していて、先生の音読されるシェイクスピアに、なんだか恋をしているようなときめきを感じていましたから、この頃から英文学や、演劇に興味を抱き始めたのだと思います。


下館先生の写真
(しもだて かずみ)
1974年 東北学院高校卒業
1976年 英国エクセター大学留学
1979年 国際基督教大学教養学部語学科卒業
1984年 国際基督教大学大学院博士後期課程比較文化研究科中退
1985年 東北学院大学教養部助手
1987年 東北学院大学教養部講師
1989年 東北学院大学教養学部助教授
1992年 英国ケンブリッジ大学客員研究員
1997年 東北学院大学教養学部教授
2002年 ロンドン・グローブ座アーティステイック・フェロー
2010年 東北学院大学教養学部言語文化学科教授として現在に至る
 19才の夏、私は先輩からの「英語劇コンテストの脚本を募集してるけど、合宿まで我こそはと思う人は持ってきて」という言葉の、「我こそ」と言う言葉が、塩をかけられたナメクジみたいに縮こまっていた私の自尊心を刺激したのです。私は、オスカー・ワイルドの小説を英語の脚本にするという難題に挑みます。向こう見ずという言葉がぴったりでしょう。自分を救うような気持ちで無我夢中で書いていました。もちろん手書きで。その頃英文科にケンブリッジ大学出身でトマス・ハーディーの研究家ロイ・モレル先生がいらっしゃって、書き上げた原稿の添削をお願いしました。今でも、典雅なワイルドの英文をずたずたにして(それににょろにょろして読みにくい字で)とんでもない脚本にして持ってきた学生をよくぞ受け入れてくださったと思うのです。そこにいらっしゃい、と言われるままに脚本を読んでいる先生の傍らにいましたから、先生の反応が即伝わってきます。顔をしかめる、オウッ、と声をあげて笑う、ノー、と溜め息をつく、次第に不機嫌になる・・・少しでも自負心というものがある学生ならば耐えられなかったに違いないと思うのですが、自分が呆れられるのは当然と思っていた私は、すがりついて祈るような気持ちでした。一通り眼を通すと、鉛筆で小さくコメントと修正案を書く、五時間!終わると苦笑いをして、一言、「イギリスに行きなさい、そして舞台を見なさい」。

 この脚本は、めでたく採用されます。そして、私の道はこの時決まったような気がします。自分の好きなものが見えたこと、そして好きなものに向かってする努力というものは、少しも苦しくなくて、頭の中も心の中も空っぽになっていくんだという感覚を生まれて初めて感じたからです。

 この脚本は、その年の秋のTIAF(東大 ICU,青山学院大、東京外大)の英語劇コンテストで、11年におよぶ東大の連続優勝を阻止、あらゆる賞を総なめにしたのです。その時の喜びは言葉に尽くせないものでした。翌年初夏私はモレル先生の言葉に従ってイギリスに留学します。

 飛行機からイギリスのドゥヴァー海峡と白壁海岸が見えた時、おとぎの国のようなレンガの家々が緑の芝生に囲まれて見えた時、エリザベス女王のウィンザー城が見えた時、私は、「ついに来た、あこがれの国、イングランド、イングランド、イングランド!」と心の中で叫びながら目に涙を溢れさせていたことを、昨日のことのように思い出します。

 そのイギリスで目に入るものすべて、耳に聞こえるものすべて、匂いのすべて、触るものすべて、味わうものすべてが、新鮮な驚きをもって砂に染み入るように私の細胞のすべてに吸収されていきました。新しく生まれた!と言う喜びがありました。


※ このページは、2010年3月刊行の『人間情報学研究 第15巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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