研究員紹介
吉田 信(教養学部言語文化学科)
英詩の森に迷い込んで



 この紙幅を借りて書くべき華々しい事柄はないと言っていいが、今日までの主な関心事について反省をかねて記してみたい。

 卒業論文と修士論文のテーマは、イギリスの、いわゆるロマン派に属する詩人 John Keats (1795-1821)が1819 年に書いた代表作「オード群」の分析で、その後、この詩人の作品と生涯、英詩の遺産の継承と革新、批評的・文学史的位置づけ等に関心を向けるようになった。1960年代はキーツの評伝の豊かな実りの時期で、少なくとも三冊の優れた伝記を後世に残すことになった。この恩恵を受けて、詩人としてのキーツの成長・発展の跡を追ってみた。

 こうした作業の過程で浮び上ってきた問題は、キーツが英詩の伝統に対して抱いていた意識である。様々な先輩詩人――例えばスペンサー、ミルトン、ワーズワスなど――が彼の模範であ ったが、その中でもとりわけ、シェイクスピアが抜きんでて彼の生涯の師になった。そのことはキーツの書簡で頻繁に述べられており、また作品の中にその影響を探ることができる。これを具体化するために、キーツの作品全般における『リア王』の反響を調べてみることにした。幸い、キーツが持っていたシェイクスピアの最初の全集『ファースト・フォリオ』の復刻版に詩人自身のおびただしいマークや書き込みが残されている。マイクロフィルムを取り寄せて、でき得る限り詳しく調査した。その結果、『リア王』と 1818 年の暮れに若くして死んだ弟と1819 年の春に書かれたいくつかの作品――とりわけ、傑作と言っていいだろう「ナイティンゲールに寄せるオード」――との密接なつながりを確かめることができたように思う。(この時期のキーツの書簡に現れるキーワードの頻度数に関して統計めいたことを行った。今ならコンピュータ処理をもとに編まれたコンコーダンス[用語索引]を利用することができるのだが。)

吉田先生の写真
(よしだ まこと)
1967年 岩手県立盛岡第三高等学校卒業
1971年 岩手大学教育学部甲一類英語科卒業
1973年 東北大学大学院文学研究科修士課程修了
1973年 愛知大学教養部講師
1981年 愛知大学教養部助教授
1988年 東北学院大学教養部助教授
1997年 東北学院大学教養学部教授
 前任校では英文学講読の科目を担当し、イギリス・ロマン派の詩作品、『リア王』を講じることになった。

 一方で、イギリス・ロマン派の文学史的・批評的評価に関心が向かい、1920 年代から50 年代にかけて活発な活動を展開したアメリカの批評家たちの一派、ニュー・クリティックスの主張を調べることになった。(そのうちの一人で、のちに触れるクリアンス・ブルックスのエセイ “Keats’s Sylvan Historian” ――パラドックス論を軸に据えた「ギリシアの壺についてのオ ード」の精細な分析――には卒論で大いに世話になった。)新批評家は総じて、ロマン派詩人の攻撃に熱心だったのだが、その矛先は情緒・主観への過度の傾き、知的要素の希薄さ、多様で複雑な経験の単純化等々に向けられた。この派の批評家はその対極に 17 世紀の形而上派詩人を置いて、その知的ウィットなどを高く評価した。しかし 1950 年前後にはロマン派支持の動きが出てきて、新批評派理論の代表的な実践者、ブルックスはロマン主義詩が緻密な構造を持ち、精読に耐えること、そしてこの批評の流派が排除し続けてきた作品の歴史的背景、伝記などの外部的研究が批評に入り込む余地があることを認めたのであった。

 ちょうどこのころ、東北英文学会の事務局からシンポジウムの講師の依頼があり、「キーツ批評の展望」という表題のもとで、20 世紀前半におけるキーツ批評の概観を担当することにな った。(他のお二人の講師は、それぞれ19 世紀と 20 世紀後半の時期を分担された。)1992 年の秋の学会で発表した原稿は加筆のうえ、仙台イギリス・ロマン派研究会が翌年、出版した論文集に収録された。この論文の末尾ではブルックスが形而上派詩人の美質とした対立物の融合の巧みさをキーツの作品にも読み取っていることを指摘した。(「ニュー・クリティックスとキーツ」――『ロマン派文学のすがた』所収)

 キーツを中心とした論考執筆の合間に、ほかのイギリス・ロマン派詩人の作品もいくつか取り上げた。例えば、ワーズワスの「水仙」には彼が唱えた詩論“recollection”(原体験の回想・回収)の原理とこの詩人に特有の「独居」の喜びが読み取られること、シェリーの「雲雀」では光と音の共感覚(synaesthesia)の技巧によって巧みにイメジが駆使されていること、同じ詩人の「西風に寄せるオード」は込み入った創作過程と用意周到な構成意識を示していることを論じた。また、コウルリッジの幻想的な物語詩『クリスタベル』は種々の事情で執筆開始から刊行までにほぼ 20 年を要したが、その間に当時の文壇で名を馳せていた二人のロマン派詩人による剽窃が行われた。その経緯を、ほかの論考の場合と同様に先行研究の助けを借りて、少しばかり詳しく辿ってみた。(「『クリスタベル』盗用――スコットとバイロンの釈明」)


 時間的にも空間的にも距離のある対象を相手にしてきたわけであるから、誤読、誤解等の類は数知れず犯してきたことと思う。それを少しでも避けられ得たとすれば、最後の頼みの綱として頻繁に足もとの本棚から引っ張り出してきた The Oxford English Dictionary (通称 OED)のおかげであろう。(それも今はパソコンで引けるようになり、肉体労働も軽減されることとなった。)

 最後に、外国語と付き合う過程で、日本語との関わりについて考えさせられることもたびたびであった。欧文直訳体の歴史と文体的効果を考察したこともあり、英文の文章作法の一つと言ってもいいであろう同じ語句の反復・繰り返しの回避について考えたこともある。我が身を省みて、とりわけ日常の話し言葉を使う場で同じ言い回しの繰り返しを何気なく何度となく行 ってきたことであろうか。拙文が単調さを免れていることをひたすら願うばかりである。


※ このページは、2009年3月刊行の『人間情報学研究 第14巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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