研究員紹介
佐藤 篤
(教養学部情報科学科)
徘徊:研究略歴



 小学生のころ昆虫少年だった私は、生き物へのこだわりから理学部化学で配属先として生物有機化学講座を選択した。卒研では海蛇の毒タンパクのメッセンジャーRNAがテーマで、大学院ではエドマン分解法で毒タンパク質のアミノ酸配列を決定する研究がテーマとなった。装置などのシステムを作るのに一年近い時間がかかったが、その後多くの学生や院生がこの装置を使ってデータを出すようになった。

 博士後期課程になり一年が過ぎた頃、コロンビア大学のB.Low教授のところで蛇毒タンパク質のX線結晶構造解析をやる話が舞い込んだ。コロンビア大学での生活のパターンも東北大での生活と大きく異なることはなかった。ブロンクスから地下鉄でマンハッタンの北にあるキャンパスに辿りつけば、あとは暗くなるまで研究室で実験の毎日だった。結晶作り、結晶の重原子同型置換体の調製、X線回折データの収集、計算機によるデータ処理が私の主な役割だった。偏光顕微鏡の視野に広がる赤、青、黄、緑と色とりどりの結晶の美しさは今でも脳裏に焼きついている。研究所のあちこちから漂っていたコーヒーの香りも懐かしい。ニューヨークという特殊な土地柄もあって伸びやかな毎日を満喫したが、2年半ほどの滞在の後、日本で研究を継続することになった。私の仕事のペースが遅すぎてグラントがきれてしまったに違いない。

佐藤先生の写真
(さとう あつし)
1966年 東北大学理学部化学科
1970年 東北大学理学研究科
1973-1975年 コロンビア大研究員
1977-1979年 日本学術振興会奨励研究員
1981年 福島県立医科大学
1989年 東北学院大学

 帰国後は東北大学の計算機センターに毎日通い、またFORTRANのプログラムを大分書いた。テクトロニクスのストレージディスプレイにタンパク質の構造を表示して操作するグラフィクスのプログラムも書いた。そのうちコロンビア大学で使っていた位相を計算するプログラムの重大なバグもみつけた。重原子同型置換体中の重原子の位置の解析などをいくつか行い、解析データを送り、それらをもとに計算したタンパク質の電子密度図を受け取った。

それからしばらくは電子密度図をにらむ毎日が続いた。アクリルの透明な板を何枚も重ね、そこに透明なシートに写した電子密度を貼り付け、それに下からランプの光を当てて全体像をみようという仕掛けだったが、真夜中ひと気のない真っ暗な実験室で電子密度をにらんでいる様子は、知らない人がみたらなんとも異様な光景だったに違いない。10日ほどの悪戦苦闘のすえ、タンパクの形が見えてきた。毒タンパク質は驚くほど扁平な形をしていた。

このタンパクの形を見たのは自分が最初だという不思議な感慨があり、MITとの競争だったが実際にそうであった。B.Low教授をファーストオーサーとする論文として結果はProc.NASに報告され、東北大の指導教授だった田宮信雄先生の名前はなかった。どこで仕事がなされたかについて誤解されないため、というのがB.Low教授の主張であったが、アメリカで研究者として生き抜くため、時には必要となるある醜さにはいささか閉口した。その後私は、私が調製し解析したいくつかの同型置換体のうちから一つだけを選び、重原子の異常分散効果を利用してタンパクの位相をもとめ、構造を計算して私の博士論文とした。

 学位取得後、福島県立医科大学の生化学教室の助手として勤務することとなった。B.Low教授からはアメリカで研究を続けるよう提案していただいていたが、タンパク構造に特化した自分にも多少の不満があった。福島では高地英夫先生(現福島県立医大学長)に糖新生の酵素を研究する機会をいただいた。この酵素を精製し機能を調べ、その酵素が関わる代謝全般について考える貴重な経験をした。その後この酵素の遺伝子の研究に移行したが、その背景には、教養学部設立前、今は亡くなられた月浦博先生と学院大学で遺伝子の仕事をしようと意気投合したこともある。

 平成元年以降、情報科学専攻の一員として遺伝子の仕事を続け、ヒヨコの肝臓の初代培養細胞に発現解析用のプラスミドを取り込ませ、cAMPなどの薬物で遺伝子発現をみる実験系を確立した。ヒヨコ肝臓の初代培養細胞の技術は他ではまねの出来ない技術と密かに自負している。蛍光顕微鏡下の観察で蛍光タンパク質の発現として遺伝子発現が観察されるが、光る細胞の数の率は1割以下と低いのが課題である。遺伝子DNAを扱うようになって、関連技術が多方面に応用できることに気がついた。そのひとつが癌遺伝子の変異の検出法の開発である。

P53タンパク質は遺伝子の異常を検出し修復か細胞死かの細胞の運命の決定にかかわる重要な役割を果たしているが、このP53の遺伝子の変異は細胞の癌化のマーカーとして注目されていた。我々の研究で、蛍光色素で標識されたヌクレオチドを用いたPCRで、検体中の細胞でわずか1%の率で起きているP53の変異でも十分検出できることが明らかとなった。特許の取得はしていないが、いずれ実用化されるものと期待している。

 情報科学科の教員として“情報”について考える機会も増えた。特に、情報をキーワードとすることで、いままで見えていなかった生き物の性質がおぼろげながらみえてきたような気がしている。生き物がなんらかのリズムをもつ理由、遺伝子のシステムのデジタル性とタンパクの世界のアナログ性、遺伝子DNAのシステムにアルゴリズムの典型がみられ、チューリングマシンそのものともいえること(細胞空間がチューリングマシンではテープになっているところがミソなのです)、タンパク質の折れたたみに生き物のシステムの本質がみられること、つまり生命的なものが、相互作用の能力を有する要素間の、関係の生成、発展と解消、階層化などで理解できることなどである。実験的に実証することが実験系の人間の務めと考え、タンパク質の折れたたみを研究しようと思い立った。

パリでの一年間の在外研修の機会はこのために頂いた。どこまでいけるのか。日暮れて道遠しの感がよぎることも増えてきた。

※ このページは、2007年3月刊行の『人間情報学研究 第12巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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