研究員紹介
梅屋 潔
(教養学部言語文化学科)
呪いや祟りの民族誌―地域の文化の闇を解読



 私がこれまで取り組んできた研究分野である文化人類学は、基本的に地域に出かけ、そこに住む人々の日常生活にある程度入り込みながら行うフィールドワークをその基本としています。

 学び始めたころ、機会を見つけてあちこちに出かけました。中でも印象に残っているのは年中行事や儀礼・祭礼の類でした。1900年ごろから1996年頃までに、訪れた場所とイベントは、越後浦佐「毘沙門堂裸押合大祭」、愛知県東栄町月の「花祭り」、豊橋市「安久美神戸神明社祭礼鬼祭り」、長野県飯田市千代・野池区の「たいしょうこうじん」「事の神送り」、長野県下諏訪町諏訪大社「お舟祭り」、富士吉田市の小室浅間神社「流鏑馬神事」、埼玉県本庄市普寛霊場の修験「春季大祭」、和歌山県牟婁郡古座の「河内祭り」、岩手県遠野市のオシラサマ、千葉船橋市の「三山七年祭」などです。

 一方で1990年に新潟県の佐渡市で村落調査を始めました。ここで1995年まで行ったのはいわゆる「憑きもの」研究だったのですが、いわゆる「もち筋」がないのがこの地域の特徴でした。狐・人狐・狸・犬神・ゴンボダネ・オサキなど、何らかの動物霊(稀には什器、テレビ)が人に憑依するのが憑きものですが、その憑依体質が親から子へ継承される、という考え方は全くありませんでした。また、憑依するムジナ(頓知坊とも)は、恐ろしい存在ですが、ある意味では至って素直で、簡単に憑いたり落ちたりし、ご馳走さえ供えればその霊力を呪いにまで提供してしまうのです。村はずれの小さな祠に秘密裏に赴き、ムジナにご馳走をあげて(油揚げや日本酒も欠かせません)、誰それが憎いから殺してくれ、と頼むのです。こうした行為を実際に行ったという噂は多いのですが、噂を集めていくと具体的に実名が出るのは二例に限られていました。ノートの親族関係図を繰ると両名とも先妻の男の子がいる後妻でした。

梅屋先生の写真
(うめや きよし)
1987年 静岡聖光学院中高等学校卒業
1993年 慶應義塾大学文学部卒業
1995年 慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了
1996年 日本学術振興会特別研究員DC2
1999年 JICA国際協力事業団専門家
1999年 ウガンダ国マケレレ大学社会科学部客員研究員
2002年 一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学
2002年 日本学術振興会特別研究員PD
2005年 東北学院大学教養学部 助教授


  この村では、アシイレ婚とかアシフミ婚とか呼ばれる、結婚後嫁ぎ先の一員になるまで時間がかかる結婚制度が採用されており、相続は通常長男相続です。したがって、先妻の男の子がいる後妻というのは、この社会でもっとも不安定な、剥奪されたポジションにいるわけです。だからこそ、葛藤は他の地域で通常起こるように家単位とはならず、個人単位で、しかも呪いが顕著になるのです。もちろん、呪いは極秘裏に行われるわけですから、本当のところはわかりません。しかし、こうした噂が頻繁に口に上るという事実は、この社会的ポジションについての地域の人々の見解をあらわしているものだと思うのです。私は、超自然的な力にすがって呪いを行使しても仕方がない、と思われる立場が制度上存在しているところに地域文化の闇や悩みの部分を見たような気がしました。

 文化人類学における呪い研究は、アフリカ研究を中心として飛躍的に進展してきました。そこでどうしてもアフリカで現地調査をする必要を感じていたので、1997年から今まで、東アフリカ、ウガンダ共和国でフィールドワークを続けています。ウガンダに惹かれた理由は、1971年からのイディ・アミン(Al-Hajji Field Marshal Dr. Idi Amin Dada c.1925-2003)大統領政権(1971−79)以降この国の治安が乱れ、学術調査も30年ほど空白になっていたからです。そこでも村に住み込み(主な民族はJo-P’ Adhola)、呪いや祟りの観念に注目して調査を続けています(もちろん言語や経済、慣習法、親族組織など様々なことを調べますが)。最初の研究課題は、「問題飲酒」の研究でした。「アルコール依存症」に代えてその社会が問題視する飲酒様式をこう呼ぶ人たちがいます。アフリカでは、深刻な病気は(エイズやエボラまで!)呪いや祟りと結びつけて考えられますが、この場合にもそうでした。お酒がやめられないのは呪いの結果だというわけです。この研究には未だに可能性があると考えていますが、展開するきっかけをつかみ損ねて今のところあまり進捗していません。

 2000年から取り組んでいるテーマは、アミン大統領に殺害された調査地出身の大臣の事例です。ウガンダに限らないのですが、脱植民地化によって出現したエリートは、しばしば呪いや祟りの噂の対象になります。逆にエリートが身を守るために呪術を使ったり、呪術師を引き連れていることもあります。彼も例外ではありません。曰く、予言者をいつも連れていたから出世できたのだ、とか、彼が結局死んだのは、彼の父が昔死なせた誰かの死霊(ティポtipo)が彼らに付き纏っていて祟ったからだ、とか。

 調査地では、そんな噂を録音して現地語のままで書き起こし、英訳をつけるという作業を助手たちと続けています。人々の言葉は、いつも示唆的で、多くのことを考えさせられます。病や不幸が深刻であればあるほど、呪いや祟りが持ち出されます。そういった事態に直面すると、いかにそうなったかを説明することはできてもなぜそうなったかを説明することができないのが人間です。だからといって問題を放置して平気なほど、図太くはできていません。そこに文化の闇から呪いや祟りが登場することになります。どうも、生まれてきた理由さえわからないわれわれ人類の悩みは、お互い尽きないようです。はじめは異なった論理のように見えたものが、最近ようやくあちこちで繋がって体系だって見えてきたような気がしています。単に差異を強調するのではなく、彼らと私たちの共通の悩みのありかにまで通じる可能性のある民族誌を書くことが、これからの大きな課題です。


※ このページは、2006年3月刊行の『人間情報学研究 第11巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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