研究員紹介
尾谷 昌則
(教養学部教養学科言語文化専攻)
言語の意味とその規則性



 私が研究しているのは日本語の意味論です。コトバの「意味」というと、どうしても語彙意味が中心になりがちですが、構文にも同じような意味が存在します。

 例えば以下のような例文を見てください。(1a)は数量詞が名詞を直接修飾しているので「連体数量詞」、(1b)は数量詞が名詞とは乖離しているため「遊離数量詞」と呼ばれます。
(1a) 3匹の子豚が来た。
(1b) 子豚が3匹来た。

 これらは全く同じ語彙で構成されているので、文意味も基本的には同じであるかのように感じられます。そこで、違いをより浮き彫りにするため、構造は変えずに語彙だけ差し替えます。
(2a) 20段の階段をのぼった。
(2b) 階段を20段のぼった。

 (2a)では、階段の総数が20段であり、その20段全てをのぼったという「全体量解釈」が優勢なのに対し、(2b)では階段の総数が20段以上あり、そのうち20段だけのぼったという「部分量解釈」が優勢になります。その証拠に、全体量と部分量は排他的な関係ではないので、以下のように共起させることも可能です。
(3) 100段の階段を50段のぼった。

 さらに遊離数量詞は、時間軸に沿って事態を認識するというsequential scanning(連続スキャニング)を反映することもあります。眠れない時によく使われる(4)がそれです。
(4) 羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹、、、

 連体数量詞にはこのような認知様式を反映することはありません。その証拠に以下のような表現は非常に奇異に感じられます。
(5) 1匹の羊、2匹の羊、3匹の羊、、、

 このような構文的意味の違いについて、数量詞文だけに限らず幅広い表現について研究しています。

尾谷先生の写真
(おだに まさのり)
1992年 富山県立魚津高等学校卒業
1996年 慶応義塾大学文学部英米文学科卒業
1998年 富山大学大学院人文科学研究科言語学科卒業
2001年 京都大学大学院人間・環境学研究言語機能論専攻認定退学
2001年 京都大学総合人間学部研修員
2002年 大阪外国語大学非常勤講師
2004年 東北学院大学教養学部講師


※ このページは、2005年3月刊行の『人間情報学研究 第10巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


|10巻に戻る