所員インタビュー
遠藤 恵子 教授

これからの家族や女性の在り方をめぐって

“Social status of Japanese women is still very low”,said Professer Endo
インタビュワー・構成 佐藤 篤


 自然科学系の私にとって社会学は大学の教養課程以来である。学生に戻ったような気持ちで神妙に遠藤先生の研究室に伺った。


■社会学の系譜

Q:まず先生の専門の社会学について、自然科学との比較もまじえてお話しいただけますか。

遠藤:専門は家族社会学ですが、社会学は社会現象を分析し、科学的に理解しようというものです。ただし、検証の手段がかぎられているのが自然科学と大きく違っています。

Q:実験が無理ということで制約が大きいですよね。でも解釈や理解だけではなく、ルールがわかれば予測もできるという点では自然科学と同じ立場ですね。

遠藤:限られた範囲内ですが、たとえば少子化問題についても、先進工業化社会に限定すれば、女性の社会参画が進むほど合計特殊出生率(ひとりの女性が生涯何人子供を産むかの平均値)が増加することなどが予測できます。これは社会参画が進んで閣僚や会社役員などの女性の割合が増えると、それを支える体制も充実してくるので安心して子供を産むことができるからです。

でも限界はあります。ある法則性を見出すには一般に条件が多すぎるのです。また同じ対象についての研究でも研究のしかたで結果が大きく違ってしまうことがしばしばあります。

Q:それを避けるための一般的な枠組みはできないのでしょうか。

遠藤先生の写真
(えんどう けいこ)
1944年 仙台に生まれる
1963年 宮城一女高から東北大学文学部へ
1967年 東北大学文学部卒業
1974年 東北大学大学院文学研究科修士課程修了
1974年 白百合女子短期大学講師
1981年 東北学院大学教養部講師
1990年 東北学院大学教養学部教授
現在:教養学部人間科学専攻主任
総務省東北地方行政評価局行政苦情相談救済推進会議委員、 財務省東北地方国有財産審議会委員、宮城県社会福祉審議会委員、 宮城県男女共同参画推進審議会委員、 仙台市住宅基本計画審議会委員 等
遠藤:一般化の結果、抽象化され、面白くもないあたりまえのことになってしまいます。それと社会を構成する個人がそれぞれ違います。半世紀近く前になりますが、タルコット・パーソンズが人間行動の一般理論を試みました。でも、それはグランドセオリーで、現実にはあまり役に立たないと批判されています。

Q:いま自然科学では、まるごとの自然をどうやって理解するかが大きな課題になっています。複雑性の科学などもそのような背景から注目されていますが、未完成です。個別性の扱いが課題のひとつということでは、ある意味で社会学は自然科学の先輩といってもいいですね。

遠藤:もともとは自然科学が科学的手法のお手本としてスタートしたのですが、社会学では自分自身が研究の対象になっているという点で自然科学とは違います。


■社会学とのかかわり

Q:すこし分かってきたような気がします。次に、先生ご自身の社会学とのかかわりについてお話ください。

遠藤:私は小学校、中学校時代は探検家になるのが夢でした。アムンゼンやヒラリーの探検に夢中でした。スウェン・ヘディンがゴビ砂漠でロプノールという移動する湖を発見した記録『さまよえる湖』などを読んだのもそのころでした。高校生になって、朝日新聞の記者だった本多勝一のルポ、『極限の民族』をよんで、ジャーナリストもいいなと考え、志しました。そこでジャーナリストになるために社会学を勉強することにしたというわけです。山歩きなども好きで夏休みにはよくでかけました。

Q:いまも山には登られますか

遠藤:最近は忙しくて残念です。東北大学での卒論はマスコミ論で、極限というわけではありませんが沖縄の地域紙をとりあげました。卒業後は医学専門の出版会社に就職しました。卒業した昭和42年ころはどの新聞社も女子は採用していなかったのです。その出版会社での経験は貴重なものでした。でも2年後、親のすすめで仙台に戻り結婚しました。それと同時に大学院に進みました。


■マスコミ論から家族社会学へ

遠藤:ジェンダーへの関心、家族とは何かという問題意識をいだいたのはそのころです。
新婚旅行から帰った日に、夫が「僕の弁当を作って」といったのです。そのころ夫は研修医で私は大学院生で奨学金ももらっていました。対等なのにどうして、と大変びっくりしました。それまで勤めていた会社では女子も平等に扱っていましたし、学生時代もそうでした。

でも相手には、条件がどうであれ妻が家事をするのは「常識」で、それが日本の男性の一般的な思考だということをそのとき初めて知りました。その後しばらく議論しましたが一年半程で離婚しました。それで、一体、家族って何なんだ、と思って家族社会学を勉強し始めたわけです。

Q:すると社会の切り口の一つとしてのジェンダーや家族論というより、女性としての切実な問題意識が先行したということですね。

遠藤:私の場合は頭の中で組み立てたものではありません。切実な問題意識が原点です。一般に社会学ではこのほうが長続きすることが多いと思います。修士は出産や離婚などがあって4年かかりましたが、そのあと昭和49年に白百合短大に就職しました。

Q:それから約30年。社会の枠組みもすこしずつ変わってきました。例えば男女雇用機会均等法もありますね。

遠藤:1999年には男女共同参画社会基本法ができました。男女共同参画社会というのは、男であれ女であれ、仕事、家庭生活、社会活動などをバランスよく営めるような社会にしようというものです。女性の社会参画のための条件整備をするだけでなく、男性ももっと子供や介護など、家庭に関われるような企業を育成する必要がありますね。


■家族論

遠藤:私自身は、そもそも家族とはなにかとか、家族がこれからどのよう変化するのかという家族論をきっかけとして、ジェンダーの問題にも関わってきました。家族論に戻ってお話しますと、いま家族の個別化や崩壊が議論されています。テレビが子供部屋にもあったりして家族がバラバラではないかということです。
でも私は、これはライフサイクルの一時期の現象と考えています。個人が自立し中年になって老年の入り口にさしかかるころまでの一時期は、行動面では個別化ということがいえるかなとは思います。

でも、一方では個別化とは異なる現象も無視できません。
遠距離介護というのをご存知ですか。他都市で仕事をしている人が介護のために親元に通って行う介護のことです。これが決して少なくないのです。介護を要する場合、他人に家に入られたくない人がまだ多いですから、地域福祉などといっても結局は家族がサポートするというのが圧倒的に多いのが実情です。

Q:生活が地域に密着していた昔にはこのような家族の問題はまれだったのですね。

遠藤:介護に関していえば、昔は今のように長生きしなかったのです。

Q:人間社会の変化の速度に、社会のシステムが追いつかないためにおきるのでしょうか。

遠藤:そう思いたいのですが、まだそうと言い切れるかというところも残っています。産業構造が変わって、皆がサラリーマン化してこういった問題が生じているわけですよね。でもこれからたとえば50年後皆がそれぞれ独立して活動していて、老後も自分たちのことは自分たちで出来るような専門的なサポートをうけることで、はたして皆が納得するのかなというのが私としてはよく分かりません。

Q:ゴールはみえてこない。このような状況はこれからも続くということでしょうか。

遠藤:そうかもしれません。あるいはむしろ働きかたが変わって、例えば、会社は東京だけれどパソコンで仕事ができるので、普段は年老いた親のいる地方にいて東京へは月に一二度でいい、というような人が増えるかもしれません。

Q:そのような例は確かに増えるでしょうね。

遠藤:スウェーデンなどでは、皆がやはり在宅で最後まで暮らしたいといって、それを専門家がいろいろな形でサポートする例が多いのですが、はたして日本が同じようになるかという点については分かりません。


■再びジェンダーについて

 女性の社会参画には段階がありそうである。意識の変化や社会の枠組みの変化を足がかりとして社会で活動する女性が増加する前段階と、インタビューの冒頭で紹介された合計特殊出生率が増加するような成熟した段階である。後者の段階で社会が大きく本質的にかわるのだろう。まずそれぞれの個性が活かされることが重要なのだ。その結果として、女性の視点がよりよい社会への変化のきっかけにもなるだろう。
 このような後者の循環が定着するまで、パイオニアの試行錯誤が続くのだろうか。


Q:先生は数多くの審議会(略歴参照)などでも活発な活動をされています。そういう活動を通じて新しい法令なども整備されて社会がかわってきているのでは。

遠藤:今年、県では地域に即したものとして男女共同参画推進条例ができました。もちろん、法令の整備も大切ですが、私は、そのような過程での議論や行政による住民の意見のヒヤリングなど、プロセスの方がもっと重要だと思います。

Q:法令など変わりやすいものがある一方、男性の意識などのなかなか変わりにくいものもありますね。

遠藤:男性の意識については、企業に理解してもらうことが大切です。企業の研修などを通じて男性も育児休業をとるようにすることなどが考えられます。まだまだ多くはないのですが、最近いいなと思った例では、国土交通省の東北地方整備局の男性係長さんが、さりげなく育児休業をとった例があります。肩肘はらずに男性が育児休業がとれるような風土作りも一つの手段です。

Q:後ろからちょっと押すことで乗り越えられるような、ちょっとした抵抗があるんですよね。それとは別に、男女が違うことの意味との関わりではどのようにお考えですか。

遠藤:たしかに妊娠・出産ということでは男女は違います。ですが私達は、それ以外では男性か女性かということよりも、個人のそれぞれの個性の違いのほうがむしろ大きいと考えています。

Q:むしろ、違いが大事だということがいろいろな制約に結びつきかねないということですね。

遠藤:それぞれの多様な個性や個人の能力、適性を大事にして作っていく社会の方がより健全ではないかというのが男女共同参画の考え方です。また、男女の中性化ということでもありません。身分制度や人種差別から個人を自由にしようというのと同じです。

Q:個人として社会に関わるということですね。それには妊娠・出産・育児の負担の軽減が必要になりますが、どのようなサポートが可能でしょうか。

遠藤:昔の農家では、子供を 「えずこ」(イジコ、エジコともいう。竹、木、藁などで作った籠状や桶状のもので一歳位まで使用。子供を布や布団で包み、底の工夫で便や尿の始末の手間も省くことができた)など に入れて女性も農作業で忙しかったのです。三世代一緒の家族であればおじいちゃんおばあちゃんも面倒をみてくれました。ですから、お母さんは授乳の時くらいしか子供と接することがないということが営々と何百年も続いていました。

それが、経済の仕組みが変わったために母親だけが育児に関わるということになって、いろいろな歪みの問題が生じるようになったのです。お母さんと子供と一対一では社会性も育ちませんし、もっと開かれた状況で子育てをするほうが健全でしょう。ですから仕事の仕方が変われば日本の女性の社会参画も進むと考えています。

Q:現在の女性がおかれた状況に制約を感じる人と特に感じない人がいますが。

遠藤:制約を感じる人がいるのであればそれをなくすのが好ましい社会と思います。

Q:最近の競争万能の風潮やグローバル化の進展も気になりますね。女性の社会参画にブレーキがかかりかねません。

遠藤:弱者であっても十分に納得できる生き方ができるような、経済的には少し貧しいことがあってもゆとりのある社会を作っていこうというのが、男女共同参画の考え方です。そのような考えから、環境を破壊するような企業活動の利益最優先の傾向が、もっと働き方を変えようじゃないかといった方向に是正されていくと考えています。

Q:そういった社会の変わり方には期待が持てますね。

遠藤:ただし残念ながら、それでは会社が倒産するとか、外国に負けるといった意見がまだまだ主流ですし、リストラの進む現在ではそれを変えていく方程式はなかなか見つかりそうにありません。

Q:そのような変化が好ましいという認識は次第に定着すると思いますが。

遠藤:実際の行動にはまだ結びついていません。前途多難と感じています。その点NPOやNGOの活動に期待が持てます。企業と同じような力をつけてくれば、競争社会とは違う論理での変化が期待できます。

Q:社会の豊かさの物差しの変化ですね。ニワトリと卵の関係ではありますが、女性の社会参画が物差しの変化につながることもあり得るわけですね。女性は競争社会とは違う視点をもっているように思いますが。

遠藤:女性と、ひとまとめでくくっていいかということもあります。女性でも競争が好きなひともいます。

Q:短い時間では意識の変革までは無理なようです。おっしゃる通りでした。

遠藤:個人の社会的な役割ということでは、適性に男女差はないと考えています。例えば大学の教員なんかはよい例でしょう。

Q:問題は、いかにしてその適性を生かす社会を作っていくかですね。ジェンダーの問題についてはまだ解決の途上にあって、課題が整理されつつあり、解決の糸口も少しずつ見えてきているということが、このインタビューで分かってきました。有難うございました。


 日本の女性の社会参画が他の国に比して低いのはよく知られている。理由はさまざまだろうが、戦前の家の概念、更には武家社会の名残もあるであろう。組織の秩序を個人に優先する社会制度の影がぬぐえない。それにも関わらず昨今はどうだろう。社会のしがらみに戸惑う男達を尻目に、多くの分野で女性達がなんと生き生きしていることか。男達は新しい社会の担い手として女性に期待している面も多々あるのだ。

 インタビューの間、遠藤先生の研究室には女子学生がひっきりなしに訪れていた。社会の中での女性の立場を、それぞれの個性を大切にしたものに変えていきたいという、遠藤先生の熱い思いが学生と共有されているように感じられた。研究室にはアーノルド・シュワルツネッガーの巨大なポスターがある。その圧倒的な力強さや明るさが、かつて冒険に胸躍らせることもあったという遠藤先生のお話と私のなかでないまぜとなって、なぜか“社会は変わる”という確信をいだいて研究室を後にした。

(2001年12月記)

※ このページは、2002年3月刊行の『人間情報学研究 第7巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。

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