所員インタビュー
武田 暁 教授
存在と認識の理法を求めて

I
n search of the rationale of being and knowing :
Professor Gyo TAKEDA

インタビュワー・構成 吉田信彌


 専門は素粒子物理学。物質の究極的な姿を、単純に、少ない原理で、統一的に理解しようとする。数々のノーベル物理学賞はこの分野から出る。武田教授の足跡を辿りながら、その研究観を語って頂いた。

■生い立ち・経歴

Q:物理学に進まれたきっかけは?

武田:数学、物理が好きだったんです。東京高等学校というのはアカデミックな雰囲気がありまして、私は論理的な方が素直に吸収できました。数学はよくできました。でも理論物理の方が面白そうだと思ったのでしょうね。

Q:当時の東大の大学院には先生がおらず、東京教育大の朝永振一郎博士のもとに通ったと、伺いました。湯川秀樹博士(1949年)、朝永博士(1965年)のノーベル賞で、理論物理学というのは、戦後急に脚光を浴びた感がありますが、先生が専攻された頃はこの分野に進む人は少なかったのですか?

武田:いえ、東大に素粒子物理の先生がいなかったというだけで、学生はいました。東大は研究分野のシフトが遅いんです。官僚的というのか、世界の流れにすこし遅れる。でも、先生がいないというのはある意味でいいことです。当時、素粒子物理学は、自他ともに認める最先端でした。それこそ「物理帝国主義」じゃないけど、「素粒子帝国主義」と他の物理学者からは思われていたのではないでしょうか(笑)。

武田先生の写真
(たけだ ぎょう)
1924年生。甲子(きのえねずみ)で、雑食性を自認する。東京生まれの東京育ち。男三人妹一人の四人兄弟。兄の航空界での活躍は「大いなる飛翔」(中野不二男著・新潮文庫)に描かれている。弟は通産省でエネルギー政策に取り組む。運輸省、通産省、そして文部省の理系エリート兄弟である。
1943年東京高等学校高等部理科甲類卒業。
1946年東京帝国大学理学部物理学科卒業。
東京大学名誉教授・東北大学名誉教授
Q:物理帝国主義?

武田:生物学や社会科学の人が使った言葉だと思いますが、要するに、単純なものに還元してわかれば、全部わかると思っている連中、そして、役にも立たないくせに一番金を使う集団にみられる一群の態度のことです。

Q:丁度その頃朝永先生は、ノーベル賞となる研究をなさっていたと。

武田:ラッキーでした。まぁー私は朝永先生の孫弟子ということにはなるんでしょうか。湯川さんは京都の人には恐いらしいが、僕らには親切でしたよ。そんなものなんでしょうけど。学生時代、湯川博士の「存在の理法」という魅惑的な題目の本がありました。私の還暦記念論文集(英文)のタイトルはそれを使わせてもらいました。

Q:1950年神戸大学に赴任し、そのあとウィスコンシン大学へいらっしゃるのですが、当時戦争直後でもあり、日本人は少なかったのでないですか?

武田:いえ、アメリカはやはり国籍を問わず受け入れます。ウィスコンシン大学だけで10人くらいはいました。中立的遺伝の木村資生先生とか、薬学、医学の人もいました。ウィスコンシンでは当時360円レートで350ドルの月給をもらいました。神戸大の7倍です。分野によって異なるのですが、物理はよかった。原爆のせいでしょうか、物理はとにかくステータスが高かったです。

Q:ウィスコンシンが2年くらいでそのあとブルックヘヴン国立研究所にいらっしゃり、当時、素粒子を加速器の中で衝突させる研究が盛んになり、先生はローメソンという素粒子の存在と性質を理論的に予言するというすばらしい業績をあげられたわけですね。

武田:いえ、実験的に新しい素粒子をつくったり、見つけたりすることが研究所でできて、たまたま居場所がよかっただけです。

Q::そして1956年、31才の若さで東京大学原子核研究所の教授として迎えられる。そのときの先生の助手がのちに東大総長をなさる有馬朗人先生だったと。

武田:まちがったんでしょうね。有馬さんは当時からできるかたでしたよ。

Q:61年に東北大学教授として仙台に赴任されましたが、これまで無縁だった仙台というのは東京人として抵抗感とか違和感はなかったですか?

武田:全くなかったです。東大の原子核研究所というのは全国の大学の共同利用研究所で、最高の設備をもっていました。だからできるだけ多くの若い研究者が使うようにと、任期制を敷いたのです。最近、教官を任期制せよといわれますが、われわれは道徳的任期制といって自主規制をしたのです。若気のいたりでした。

 東北大学着任後、再び米国に。1966年12月原子核研究所に所長として戻る。1969年8月再び東北大学教授に。1975年から85年まで東北大学理学部教授と東大素粒子国際研究センター客員教授を併任。1988年から本学教養学部教授。数々の国際会議や国際的なビッグプロジェクトの委員を手掛ける。

Q:私は不勉強で、物質の究極の存在を考究する学者は、湯川博士から高橋光一教授まで(笑)、とても難しいことを静かに紙と鉛筆だけで考えている、と思っていました。しかし、先生が原子核研究所長時代に設立準備をなさった高エネルギー物理学研究所(筑波)の年間予算が二百数十億、日米高エネルギー委員会の投資額は十五、六億円、旅費が六千万。それらに先生はプロモーターとして係わってこられたわけですが、装置の利用者の行き来もあるし、とても大がかりですね。

武田:巨大な機械は世界の誰にも開放しようという合意があります。また、同じ設備は持たないよう調整はしますが、ときどき国粋主義が出ることもあります。逆説めきますが、小さいものほど調べようとすれば大きな設備がいるのです。最後は宇宙にいかないと解らない。宇宙の生成は素粒子物理学を使わないと絶対に解りません。

Q:湯川・朝永時代は金がかからない?

武田:数学や理論物理は環境によらずできます。ノーベル賞のサラム(1979年受賞)はパキスタンだし、インドも優秀です。ただ、彼も科学をどうシステマタイズするかを考えているようです。理論物理からスタートする。それは環境や設備によらず、世界と広くコミュニケーションできる。これが第一段階。次に環境を整備して、どうビルドアップするかです。そのための環境整備に湯川さんも尽くされました。朝永さんはシステマタイズに大きく貢献された。

Q:学界はかなり変化したことになりますね。

武田:予算がつき、教科書がある。論理体系が今は実に整備されています。標準理論は実験事実によくあいます。


■共同研究と学際性

Q:素粒子実験には大がかりな装置を使うため、共同研究という方式がとられてます。その一方で、共同研究は独創的な個人の大胆な試みを妨げるのではとの意見もあります。共同研究という方式についてはどのようにお考えですか?

武田:共同研究はやりたいという人とやりたくない人とはっきり分かれます。大がかりな研究だと、研究の全容知っているのは一割。全員に重要な役割は割り振ってますが、働かない人というか、寄生虫が出ます。階級制はやむを得ません。それでも、他との競争に勝たなくてはならないとなると共同するのです。仮想敵国というか、学問上の実際の競争相手がなくして、共同はないでしょう。

Q:一般社会、つまり納税者からの理解と支持が必要なようです。先生の友人でもあり、「究極理論への夢」(ダイアモンド社)を著したワインバーグ博士(1979年ノーベル賞受賞)も、出版の動機の一つはそこにあったと。

武田:基本は議員です。議会の協力です。向こうの学者はそういうトレーニングを受けるのです。

Q:わが教養学部も、また人間情報学でも、学際性ということが強調されて、異分野の研究者の共同の必要性はよく語られるのですが、先生の関連の分野ではいかがですか?

武田:外国のトップクラスの人を見ていると学際的になるには条件が二つあります。第一は、彼らは大概、小さなアカデミックサークルを作っているので、一流の家庭教師を互いに雇っているようなものです。伝記など読むと、19世紀のヨーロッパからそうなっていると推測されます。その前提があって、学際的にやるといってもそれをおおっぴらにやるだけです。もう一つは、学部のとき物理をやっていた者が生物に移ったりとか、二、三年で専攻をスイッチする。トップの人だけかもしれないけれど、、、日本ではそうはいかないです。難しいです。

Q:教養学部では文系と理系の交流という学際性が求められると思います。学院大学にいらして、文科系の人びとの思考法とかに違和感など感じられたことなどはありませんか?

武田:違和感はないですね。僕がだいたい物理学者らしくないといわれる(笑)。塚本龍男教授もそうですね、いろいろやっていて物理らしくない。

Q:東北大学では、2回も務められた理学部長として、また評議員会でも他学部の方とお付き合いがあったと思いますが、いかがでしたか?

武田:東北大学の評議員は11年もやりました。記録かもしれない。文学部の方は個人差が大きいです。法学部はあるところまできちんとやるので、相談役にはうってつけですが、コンサーバティブで新しいことの創造には向かわない。

Q:本学では理系というと工学部です。キャンパスが離れていて、文系との交流がうまくいかなかったのですが、理系といっても工学部系と理学系とでは多少とも違いはありますか?

武田:東北大学の影響力のある人は、電気とか機械で成功した人でしょうが、システムの作動が重要です。そういう思考の癖がついているのでしょう。全体としてシステムが動けばいいと。これに対し、理学部は論理というか、パーツのパーツたる所以が大事です。学生でも理学部は個性があればいいと思っていますが、工学部は組み込まれた中で、個性を発揮するという感じです。

Q:学院大学の研究業績では工学部の活動報告が目だつのですが、科研費の扱いも、工学部はよく通りますが、理学部だと難しく、確か科研費の交付は論文相当の業績と評価しますね。

武田:工学部の方は、たくさん論文を書かなきゃいけないというプレッシャーが強いのでしょう。数本まとめて1本にできるのにと思いますが、組織に組み込まれていて、予定時間内に出すという感じでしょうか。理学系は、科研費にしろ、論文数でも、そんなの本質的でないというのが心の底にあるのでしょう。態度の違いというか、僕なんかは、論文はつまらないものなら、書かない方がいいと思ってます。
 工学部が大学にふさわしいか、という議論もあります。フランスは工学部は大学と思っていない。日本の工学部は大きくなりすぎて、異常です。

Q:受賞報告も本学ではよくありますが、、、

武田:賞を出して、お互い誉めあって、虚偽の集団を創り、システムを動かすという無意識の動機があるのじゃないですか。佐藤利三郎工学部長には怒られるでしょうが、、、物理は、最近変わってきましたが、個人の賞はつくらなかったです。

Q:物理ではノーベル賞以外は賞でないと(笑)。

武田:あれはよその国が勝手にやっていること。日本の物理学会は、個人に奉仕するものでないという姿勢が基本でした。化学会は出してますよ。

Q:山口勝三教授は化学教育賞でしたね。


■研究者の育成

Q:東北大学時代ノーベル賞学者を出すと宣言しておられたと。研究者の育成でとくに心がけたことは?

武田:あまり学生育てるの上手じゃなかったですね。

Q:本学とは隣接の大学ですし、教員には出身者も多くいます。ひとつ東北大学のマイナス面というか、悪口を忌憚なく述べて頂きたいものです。

武田:実験的なのには強いのですが、理論とかソフトに弱いというか、それを重視していない。だから、よそからきた人も居心地悪いと言う。学生は入試のせいもあるでしょうが、理論面に限っていえば、東大、京大と格差があります。入試はそういう面を測るのでしょうか。ものを作るとかだと、そう一概にいえないのでしょうが、、、
一般に世界制覇とか、トップを狙うという意識が少ない。地方性でしょうか。

議論の仕方にも地域性があります。東北は静かです。議論の先鋭さが足りない。私達が大学院とき、先生が何かいうと間違っているじゃないかという発言は日常茶飯事だった。東北大学の学生からそんなこと聞いたことがないですよ(苦笑)。
コラボレーション(協力)の仕方を知らないというか。二人とか三人で、プラスになるような議論を積み上げていくほうが、一人でがんばるよりは、本当はいいという信念が欠如してます。東北大の学生は大都会の学生よりコラボレーションするのが難しいです。学生だけでなく東北大の人達は、近代の科学、物理学の分野については、発展には協力が効果的であるという確信をもっているとは思えません。ある程度議論が平行線に落ち着いたとき、それをどう突破しようかとうことを時間をかけて協力するというのがないです。協力は自己犠牲あっても、結局は自己を復活し、かつ増幅する面があるのに。それは経験しないと解らないのかもしれません。

Q:理系の研究者は若いときが勝負との説があります。それは動かしがたい事実ですか?

武田:そうでない人達も段々増えてきて、若いときから下がらない、フラットだと思います。ピークを維持しようとする努力はなされてきています。ただ現実としては、若いときが一番だったという結果になります。数学で30、実験科学で35がピークでしょうか。実験ではトレーニングの期間が必要なのでずれるのかもしれない。理論や数学では先生や設備を必ずしも必要とはしていないから、上の人が予算でコントロールできません。他の分野でも抑制がなければ同じになるかもしれません。環境、社会環境を含めての整備が必要でしょう。

Q:若いときがすべてだとすると、中年の夢や老年の役割はどうなるでしょうか?

武田:なぜ落ちるかというのは、体力的に集中できないとか、偉くなったとか、家庭の事情とか、諸々の仕事が増え、集中できない。集中するほど馬鹿でないというのもあるかもしれない(笑)。ただ、年齢より手法の行き詰まりだと思います。あるとき有効だった手法を変えられるかが問題です。あるシステムだって有効に働く期間には限りがありますでしょう。今まで成功した手法を維持できるが、効果は上げることができなくなる。だから、新しい手法を入れられる環境整備ができるかです。自分を再教育してくれるティーチャーがいるとか、手法を学ぶ異質のパターンがそばにあるとか。年齢でなく、自分の手法を変えられる潜在能力と環境を自分で整えられるかが大事だと思います。
 DNAのクリックは、ノーベル賞もらう前後から脳研究に移りました。超電導のクーパーは受賞後すぐ脳科学に移りました。そして二人とも脳をちゃんとやっている。

Q:日本の研究者に独創性が欠けるという説がありますが、どう思われますか?

武田:独創性は、日常語としてはありますが、実態のはっきりしない差別語だと思ってます。脳の研究をしていると独創性はわかんない。独創性が、特別なものとして存在するとは思いません。ある知識を使いこなした人の成功はその知識を持ってない人からは独創的とみえます。基礎知識をもっと広い範囲で適用しただけのことだったり、材料をつなぎ合わせているだけのこともあります。歴史経過をみるとタネがあるのでは。成功した人がやたら独創性を言いますが、僕には多少の嫌悪感があります。


■理論と学問の行方

Q:理論と実験の関係は、素粒子物理学では特殊な関係にあると伺いました。理論は、実験でテストし、実験によって修正されるというのが一般的な関係です。しかし、素粒子物理学では、理論は量子場の理論という理論として検証できると。社会科学にも理論という研究分野はありますが、どう異なるのでしょうか?

武田:道具が違います。量子場の理論というのは、制限の強い理論です。一字一句も変えられない。また実験結果とよくあう理論です。高度に自己矛盾のない論理なのです。そしてその論理体系の中にあるものは極めて豊富な法則が内在しているのです。その論理の中では自由度は無限なのです。
 あるときから素粒子物理では、現象を記述するいわば言語体系ができました。それが量子場の理論です。その言語を研究する、つまり理論の中にある潜在的な法則性を探すという研究は、実験を時々参照しますが、独立にやれます。実験も今は準備から答えが出るのに五年はかかります。それに、これからの理論をテストする実験の可能性は限られているのです。

Q:究極の理論は、量子場の理論を越えたところにあるのですか?

武田:場の理論はいくつかの欠点があります。理論の中のパラメータが多すぎる、素粒子が何故質量を持つのかがはっきりしてない、重力(万有引力)を組み込んでないが、組み込む形が一義的に決まらないなど最終的理論でない兆候があります。しかしそれでも、実験事実によくあう。もう全部解ったという人もいます。しかし、釈然としない人が10年から15年先の次の仕事を用意してますが、標準理論を内蔵した新しい理論をテストする実験の可能性は限られます。より大きな加速器をつくるのが一つ。二つ目は、岐阜県神岡でやっているように宇宙からの素粒子を測定し、物質の寿命を測る。そして、より整備した理論(究極理論)を創る、の三つの方法が残されてます。究極理論を創ることにいろいろな意見はあります。サイエンスを越えたスペキュレーションでないか。人間の脳は論理的にはできていないとか。

Q:社会科学分野での議論ですが、理論ではそう論文は書けないかという人もいますし、一方で、理論はデータに縛られないから好き勝手に幾らでも書けるいう声もあります。理論分野は、論文の評価基準が異なるのでしょうか?

武田:実験では、1.材料と手段が適正か、2.従来のと何かが違う。これがミニマムです。そしてプラスして、分野の広がりをもつ多少のインパクトを与えること、これは微妙なところですが、必要です。単なる現象の発見だけでなく、それがほかのことにどう影響するか、一般的に適用できるかという視点がある。こうなると簡単には論文審査は通らないでしょう。理論では、1.誰でもチェックでき、答えがちゃんとしているか、間違っていないかは、実験同様にチェックできる。2.読者に新しい視点を与えるか、そして、3.どれだけ広い人がその新しさに興味を持つか。多少主観的になるが、そこは実験と同じ。投稿数も多いせいもあるが、そう簡単ではありません。

経済学の場合、書き方からして、もうチェックのしようがないと思います。だから、書ける人はいくらでも書けるとなるのだろうけれど。経済はサイエンスでしょうが一部サイエンスでない。ノーベル経済学賞の人の論文は数式が多いです。賞をもらおうという人と、賞とは無縁のところで経済をやる人では、その仕事は全く異質です。

Q:学院にいらしてから先生の興味は脳にあると伺いました。脳と素粒子の接点は?

武田:素粒子物理学は、非常に論理的な学問です。その論理がどこまで正しく、どこまで異常なのか、実験だけでは解らないところがあります。その論理を理解し、はっきりさせる脳の仕組みをみてみたいのです。脳は本質的には論理的思考には不向きにできていると思うのですが、素粒子物理学を理解します。具体的に関心があるのは、言葉ですが、言語を媒介にして、なぜ物理学を考えられるかということをテーマにしているんです。まぁー成功しないプランですけど、、、
 脳科学の進歩は驚くべきものがあります。それを吸収したいだけです。実際面白いんです。高橋彌穂教授とか、教えてくれる人がいる。脳研究の最先端は、有馬さんが理事長をやっている理化学研究所で、研究員の審査委員もやっていて、時々いきますが、いや実に面白い。

 素粒子物理学と脳研究の接点は、哲学の存在論と認識論の関係といってよかろう。物質の究極の存在を素粒子物理学でとらえ、なぜそれを認識できるかというのを脳研究に求める。哲学者が問題とする存在には精神や神があるが、それを武田教授はどういう存在としてとらえるのだろうか。物質へ還元されるとするのだろうか。

 武田教授は自らを失敗者と語る。世界に素粒子物理学者は二、三万いるといわれ、毎年何百何千という論文が厳しい審査を経て出るが、ほとんどは一、二年で誤りを証明されるという。湯川博士が昭和40年代に取り組んだ「非局所場の理論」も失敗するだろうと先生は公言していた。実際湯川博士の成功は耳にしない。学史はある意味で失敗の歴史でもある。しかし、今世紀の素粒子物理学の赫赫たる成果を目の当たりにすれば、21世紀も物質還元論の勝利を予想するのだろうか。


Q:脳と精神の関係はどう思われますか?

武田:脳をやっても心は出てこないという人もいるが、大勢は違う。脳と心とは別だというのは少数です。もっとも脳が物質に還元できると公言する人も少ないのですが。物理をやっていた者には、急増している脳の実験的知識は還元主義的で解りやすい。脳と心を暫定的に分けるのはやむを得ませんが、脳研究者は物質還元論でやってます。それは暗黙の了解ではないでしょうか。

Q:観測しようとすると、観測対象が変わってしまう「観測問題」というのが素粒子研究を悩ますと聞きかじったのですが、これは、心理学でも根本的な問題ですし、脳でも問題になるような気がしますが、どうですか?

武田:観測問題は、1920年代の量子力学にあったのです。アインシュタインとボーアの論争があり、結局ボーアのコペンハーゲン解釈が勝ちました。それで解決済みなのですが、観測問題に関わる実験をやっている人がコペンハーゲン解釈で釈然としない。しかし、大勢は私もそうですが、観測問題を問題にする必要がない、コペンハーゲン解釈で十分という立場です。

Q:究極理論の夢が実現しそうだという素粒子物理学者達の主張の一方で、還元論の限界がみえてきたとの声もありますが、どうですか?

武田:還元論の限界について現実に挑戦している人はいないと思います。還元要素の集まりで何かを理解するには限界がある。それは現実の問題はそうです。しかし厳密に追究すると、還元できないと言う人はいないと思います。例えば創発的性質をもつというが、それは還元論を通しても理解できます。還元論なしにテーゼを進歩させることは難しいと思います。還元論か還元論でないかは、暫定的な区別で21世紀にはあわなくなる、と思います。

Q:科学のパラダイムの変更が必要だと叫ばれています。どの科学も閉塞状況であるとのいう人もいます。流行かもしれませんが、これにはどういうご意見でしょうか?

武田:社会現象としてはそうですが、パラダイムというのは、トップサイエンティストを除いた人達の分類ではないでしょうか。トップは上でつながっていて、他の分野で使われている手法をそれなりにコンバインしていますよ。第二段階の研究者は、自己のパラダイムを侵されることによって新しいパラダイムを作るかもしれないが、パラダイムという言葉好きではないです。それぞれの分野の二流以下の再組織化だと思ってます。

 今世紀のもっとも伸展の著しい、それ故に競争の激しかった学問の世界に武田教授は身をおき、日本の、そして世界の素粒子物理学の発展と組織化に尽くされた。物理学者としての喜びとは、との質問には、外国旅行ができ、どこでも先生や友人がいるとの答えが返ってきた。ノーベル物理学賞受賞者の半分くらいは知己で、1986年7月から河北新報「プリズム」欄で、彼らの横顔を10回連載で紹介し、好評を博した。残念だったことはと聞いたら「もうすこし頭がよかったら」と。武田教授ほど博覧強記、頭脳明晰な方はいないだろうとは衆目の一致するところであるが、、、

Q:学問上、こうすればよかったというのはありますか?

武田:ヤンさん(楊振寧)という、右と左と物理法則が違うという対称性の破れで中国人初のノーベル賞(1957年)をもらった彼とは、2ヶ月間アメリカで同じ部屋にいました。僕がアメリカを離れる最後の日にヤンさんの自宅でご馳走になって、ひょっとするとノーベル賞もらえるかもしれないねなんて話をしていたのです。いざもらうと、あー手伝っていればよかったと思いますね(笑)。自分ももっと一生懸命やればできたのかも、と思います。でも、僕は儒教精神があるのか、誰がやってもいいんだというところがある。アメリカ人はそうはいかないようだけど。
 彼の仕事、日常的に話しているから、難しいことは難しいかもしれないけど、解るのです。信じられないくらい頭のいい人というのはいます。でも、話を聞けば解るんです。難解ではない。だから、脳はどうやって理解できるかに興味があるのです。

 誰がみても華麗な履歴書である。にもかかわらず、「人生の失敗者」と自嘲なさる。明快な答えが静かなゆっくりとして語りで返ってくる。
 感じるのは学問の精神、真理を究めようという心意気である。素粒子物理学者たちは莫大な予算を使いながらも自らの金儲けには無縁である。それが役に立つものでないことを認めている。そして、この領域での成功の難しさ、挫折や失敗を覚悟しながらも、なお知的なロマンに己を駆りたてる。その姿は、真理に奉仕するという営みに崇高な使命を自覚した人間であることの証明である。真の教養人である。

 2月には、複雑系−物理・生物から経済まで、という副題の「形の科学」(裳華房)と、物理学の論理が脳の中でどう使われているか、について書いた「脳と力学系」(講談社サイエンティフィック)を相次いで上梓する。子供の頃から壮健で、現在も、スキーは一冬十日、毎週日曜はテニスに興じる。ますますお元気なご活躍を願ってやまない。

(96年12月記)

※ このページは、1997年3月刊行の『人間情報学研究 第2巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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