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韓国調査報告
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東北学院大学文学部教授 熊谷公男、佐川正敏、辻秀人
調査地 韓国慶尚南道、
 昌原市・晋州市ほか洛東江流域
韓国全羅南道、
 光州広域市・羅州市・木浦市ほか栄山江流域

校洞古墳群復元


池山洞44号墳復元 殉死多数


城山山城城壁


松廣寺大雄宝殿


月桂洞1号墳


方山里古墳 別名海南長鼓峰古墳


新徳里古墳


禮徳里古墳群


竹岩里古墳 別名長鼓山古墳


新村里9号墳


月桂洞1号墳墳丘復元


伏岩里古墳群


新村里9号墳出土の百済の冠


馬山里古墳
調査期間 平成16年7月13日〜7月20日(8日間)
調査目的 朝鮮半島南西地区(栄山江および洛東江流域)の先史・古代における文化的特色を探る。
調査内容

20040713
 13時30分 仙台空港発 16時30分 仁川空港着。
 19時40分 仁川空港発 20時40分 釜山空港着。
20040714
 朝雷、土砂降りの中、朝8時30分頃国立昌原文化財研究所に鄭氏を訪ね、発掘調査中の松洞古墳群6,7号墳について説明を受ける。先後関係のある直径20m程度の重複する2基の円墳の調査でいずれも横口式石室を主体部とする。墳丘周囲には護石がめぐる。石室は長方形で、竪穴式石室に地表から斜めはいる横口がついたようなもの。入り口部分の構造はまだよく分からない。まだ主体部内土砂を除去しており、床面には至っていない。続いて城山山城の城壁内にある池から出土した多量の木簡を見学。6世紀半ばの古い木簡が出土し、中に題箋軸が含まれている。日本の木簡よりも100年ぐらい古い。題箋軸があるということはこの時期から文書が広く使われていることを示している。
 11時頃に研究所を出て12時頃に昌寧博物館を見学。学芸士、館長さんに挨拶、説明を受ける。校洞古墳群出土資料を中心に見学。古墳の復元により、横口式石室の積み土の構築の仕方と半地下式の石室構造がよく理解された。博物館見学終了後古墳群見学。墳丘のかなりの部分は復元で、本来の姿か否か分からないとのこと。
 昼食後、新羅王の碑文を見学。その後玉田古墳群の展示館を訪ねるも、開館前とのこと。(開館は3ケ月後予定)。雷鳴の中玉田古墳群見学。ここは墳丘は残された状態のままとのこと。比較的小型で均質な古墳群との印象。木槨から竪穴式石室、横穴式石室にいたるまで長期にわたるとのこと。
 高霊、池山洞古墳群の展示館(大加耶王陵展示館)と古墳群を見学。大加邪の中心の古墳群で、展示館には金の冠馬具、陶質土器などの多量の遺物の展示と最も多くの殉死を伴う王墓、44号墓の復元がドーム内にあった。竪穴式石室の主たる埋葬と殉死を伴う遺物を多量に副葬された石室、殉死の小型の石カク(日本の箱式石棺に類似する印象がある)の組み合わせが古墳群の基本構造のようであった。この地域では横穴式石室はこの時期にないとのこと。時期的には5世紀後半から6世紀。古墳群は比高が高く、馬の背状の尾根の稜線上に累々築かれており、規模の大きな王墓と目されるものは最高所に築かれている。 
 最後に良田洞の岩刻画を見学。青銅器時代とのこと。文様の意味などはよく分からない。この地域には他にも類例があるとのこと。
夕食は鄭氏と会食。

20040715
 午前中咸安の城山山城の調査現場を見学。城壁と池の調査。池は3時期あり、その古い段階の埋め土から多量の木製品、木簡が出土している。池は3時期といわず、埋まっていく過程で護岸施設が繰り返し築かれたように見える。小加耶の地域だが、新羅が進出した初期の山城とのこと。午後晋州国立博物館見学。倭乱に特化した博物館。晋州城跡に築かれている。ホテルチェックイン後玉峰古墳群、晋州郷校の見学。その後町の市場を散歩のの後町中で食事

20040716
 9時30分頃から慶尚大学校博物館見学。玉田古墳群出土遺物、ダムによって埋没した大坪遺跡出土遺物などが多量に展示されていた。大谷古墳出土の馬甲とならんで有名な馬甲や素環頭大刀、龍、鳳のある環頭大刀などが印象に残った。陶質土器も多量にあり、大加耶系が中心であった。大坪遺跡では環濠集落、支石墓、竪穴の埋葬施設、集落が調査されている。
 午後松廣寺見学。昼は門前の食堂にて精進料理。寺までの道は渓流沿いで緑豊かで爽快。寺は大雄宝殿を中心に立派な伽藍がある。統一新羅時代の創建で、韓国でも名刹の一つ。大雄宝殿の屋根は入母屋造りを二重に重ねた特異な作りで、基壇もそれに併せて東西に張り出している。境内の博物館に国宝の統一新羅時代の小仏像がある。
 午後4時、朝鮮大学校に伊教授を訪ねる。調査された旧石器時代出土遺物、青銅器時代竪穴住居、初期鉄器時代竪穴住居跡について説明を受ける。出土旧石器については同一時期との説明だが、多少時間幅があるように感じた。青銅器時代の竪穴住居の中央部には楕円形のくぼみがあり、その中に柱穴状のピット2個がある。この時代に特有のものとのこと。初期鉄器時代の竪穴住居には竈があり、排水の溝がある。郡山市の5世紀の住居と類似の印象。説明の後に学内の博物館見学。終了後伊教授の招きで会食。

20040717
 国立光州博物館見学。初期鉄器時代の土器群を観察。粘土帯土器磨研土器などをみる。この時期の光州は複数の系統の土器あり。中に深い碗形、南小泉式で言えば杯のような器あり。山本氏の説明ではあまり一般的ではないとのこと。一般的な食器はいわゆる韓式土器の平底で後円部がくびれるものとのこと。初期鉄器時代(紀元前3,4から起源前後)にすでにカマドがある。図録購入。原三国時代(3世紀くらいまで)には軟質土器(新羅では瓦質土器)が登場し、やがてその中に陶質土器が登場する。陶質土器の登場は韓半島であまり大きな違いはない。百済の領域では初期陶質土器の器種や形態は軟質土器と共通するので、陶質土器は韓国内で登場したものとの見方がある。
 12時過ぎ月桂洞古墳群見学。韓国内唯一2基の前方後円墳が集中する。1号墳は40mを越えるぐらい。2号墳は30mぐらいか。いずれも後円部の墳丘の傾斜が韓国内の他の古墳に似て急である。くびれ部はきわめて細く、まさの馬の背状。前方部は後円部とほぼ同じくらいの高さ、両隅角が大きく開く点に特徴がある。墳丘は復元されたものということで観察が妥当か否かは他の古墳と見比べる必要がある。横穴式石室で内部を観察できなかったが、石室奥に主軸に直行する石棺がおかれているとのこと。
 石室前の施設等はまったく分からなかった。本来は前庭などの設備があったのだろう。
 午後3時過ぎ海南郡三山面昌里龍頭里古墳見学。未調査で測量図だけがあるとのこと。全長40mほど。東からのびる斜面上に立地し、後円部は低い方にある。周囲が地下げされているので正確な墳丘の高さは分からないが、韓国の他の古墳のような高さはないようだ。前方部は比較的まっすぐにのびており、平坦。前方部先端が開いたり、高くなることはない。後円部の墳頂には平坦面はなく、横穴式石室と思われる。
 午後4時頃、有名な韓国最大の前方後円墳海南郡北日面報方山里古墳(海南長鼓峰古墳)見学。まず最初に前方部の高さに驚く。おそらく10m前後であろう。後円部の墳頂には緩やかな丸みを持った平坦面があるが、古い時期のものとは違っている。後円部の高さと前方部の高さはほぼ同じ。最大の特徴はは前方部の先端だけが急激に高まり、前方部前端斜面と急角度を形成していることだろう。後円部と前方部先端までの部分が比較的長く、横から見てまさに国立光州博物館で見た長鼓を思わせる。横穴式石室があり、調査済みとのこと。墳丘の傾斜は急角度で、段築は認められない。前方部前端の斜面の様子から見てもおそらく段築はなかったのだろう。横穴式石室は後円部の中腹にあったとのこと、石室前をどのように作っていたのか興味のあるところ。古墳は後円部を丘陵の高い方におき、前方部を海側の低いところにおく。海からは前方部の特徴的な広い斜面が見えることになる。墳丘の下部は地山削り出しかもしれない。
 18時寶林寺見学。統一新羅時代の寺院。四天門の四天王は現存する最古のものとのこと。大雄殿前の石塔2基は国宝。安置の鉄仏の脇には塗金せん仏の集合があった。大雄宝殿には3体の本尊と5体の脇侍像あり。全体に同じ統一新羅時代の松廣寺に似た雰囲気。

20040718
 朝9時明花洞古墳見学。全長33m程度。 現代集落の中にある家などでかなり大きな変改を受けてる。長鼓墳という看板の表記どおりくびれ部が長い様子がうかがわれるが、前方部、後円部ともに先端が大きく破壊され、形状を観察できない。国立光州博物館で見た円筒埴輪と透しのない筒型の土製品はここから出土したとのこと。横穴式石室が調査で発見されている。蓋石も失われており、墳丘全体が削平されていたとのこと。
 10時。禮徳里古墳群と近くの新徳古墳見学。新徳古墳は全長50m程度の前方後円墳。後円部墳頂が前方部墳頂よりもやや高い。前方部先端斜面が傾斜が急で大きく作られていることをのぞけば、違和感はあまりない。報告書の図面によれば墳丘に平坦面がめぐり、後円部に横穴式石室があり、倭系遺物も多く出土したとのこと。前方部先端の前には比較的大きな円墳があり、内部主体は百済中心の墓と同じ構造の石室がある。新徳古墳の次の代ぐらいの墓。禮徳里古墳群は墳丘に甕棺を埋置したもの。3〜4世紀から百済がこの置にくる6世紀ぐらいの間在地で行われた墓。最初の墳丘につぎつぎに継ぎ足して墳丘が築かれ、甕棺が埋葬される結果長方形の墳丘6基程度の甕棺が埋葬される。栄山江流域は甕棺墓社会と呼ばれる。新徳古墳との位置関係から新徳古墳の被葬者も同じ一族と思われる。在地社会の基本の墓制は甕棺であり、その伝統を受け継ぐ人々が一方で政治的な関係により前方後円墳を作っているようだ。
 午前11時咸平竹岩里古墳(長鼓山古墳)見学。緩やかな丘陵の頂部を利用し、後円部を高い場所においた前方後円墳。藩南長鼓峰古墳と立地、墳丘の築き方に共通点がある。後円部に対して前方部がやや低い点は藩南長鼓峰古墳と異なっている。前方部墳頂、特にくびれ部付近は馬の背状で人一人歩くといっぱいになる狭さ。前方部前端は藩南長鼓峰古墳のようには急激には高くならない。全体の形状は藩南長鼓峰古墳とよくにており、韓国の前方後円墳の一つのスタイルだと思われる。
竹岩里古墳の近くの方形の古墳?を見学。全体に長方形を呈する。長編40m程度か?墳丘は高く10mを越える。墳丘に石がが多く見られ、葺き石状の施設があるかもしれない。かなり大型の在地の墳墓。
 昼食後潘南面古墳群見学。栄山江流域の中心勢力の古墳群。徳山里古墳群、新村里古墳群、大安里古墳群など4つの支群に分かれる。円形または長方形を中心とした古墳群で、いったいに墳丘は高い。最高所にある大型の新村里9号墳からは埴輪を模したものと百済の冠が出土している。この古墳は規模、立地から見てもっとも有力なものと見られる。
 近くのチャラボン古墳を見学。前方後円墳か否か議論が分かれるという。現地には灌木や草木に覆われて観察が難しいが。前方部が低く、小さい様子は分かる。後円部は中心に現代のお墓があるために削られているようにみえる。後円部からは竪穴埋葬施設が出土したとのこと。これが前方後円墳とすれば、韓国内で唯一の5世紀にさかのぼるものとなる。観察した印象は前方部があまりにも細く、前方後円墳と認識することは難しいのではないかという印象。もし、前方部が削平のために細くなっているとすれば前方後円墳の可能性はあるだろう。ただ、他の長鼓峰、長鼓山などと比べた場合、両者に共通点が少なく、一つの系譜で考えることに無理があるように思われる。ひとまずは、別のものとして取り扱っておく方がいいと思われる。
 少し離れた霊岩郡始終面古墳群、内洞里古墳群は潘南面よりも古い(4世紀ぐらいまで)古墳群で、これらから潘南面に移動したと言われる。他に新燕里古墳群、沃野里古墳群も見学。これらも一連の甕棺墳墓群である。
 午後4時木浦博物館見学。新安沈没船の博物館。水中考古学の展示が充実。沈没船の復元が圧巻。

20040719
 朝8時宿発。1時過ぎ光州全南大学博物館。潘南面古墳群新村里7,8号古墳出土類埴輪資料2点。一つ台の上に壺を載せたもので、もう一つは陶質土器の器台をかたどったものか。最大で百済の冠を出土した最有力の9号墳出土の類埴輪もおなじようなものと思われる。いずれも窯を用いて焼成。焼き上がりは陶質土器に近い。また、別の古墳群から出土した類埴輪は朝顔形円筒埴輪を模したものか。これは壺のように底部を作り出した後、焼成前に底部の中央部分を円形にくりぬいたもの。いずれも埴輪の原則を大きく逸脱している。地元の本来の墓制の中にパーツとして取り入れられ、大きく変形したものと思われる。一方月桂洞1号墳出土円筒埴輪および朝顔形円筒埴輪は細部(タタキ技法、円筒埴輪の3個の透かしなど)の違いはとにかくかなり忠実に埴輪を再現している。制作技術は在地だが、埴輪と見て間違いない。前方後円墳、横穴式石室、埴輪と体系的に前方後円墳祭祀がこの地で実現している。同じことが明花洞古墳でも言えるようだ。
 昼食後伏岩里古墳群を見学。1〜4基があり、最大の3号墳が調査されている。3号墳は長方形状の古墳。最下層には甕棺、上層には百済系の石室がある。複数埋葬で伝統的な甕棺の後に百済系の要素が入る。6世紀後半頃まで続く。潘南古墳群と栄山江を南北にはさんで並立する精力の墳墓。潘南古墳群の勢力と対抗するために早く百済と関係を持ったとも言われる。3号墳からは須恵器(搬入品)が出土し、2号墳周濠からは類埴輪(甕形の底部くりぬいた形)も出土している。伏岩里古墳群は最初在地の甕棺墓からスタートし、後に百済系の石室を受け入れるも、墳丘は継続して使用した結果、同じ墳丘内に系譜の異なる埋葬様式が混在する結果となった。
 帰路、古墳群のすぐ近くの会津土城を見学。大規模な土塁が斜面を囲っている様子を確認した。
 咸平郡馬山里古墳見学。まったくの未調査。古墳に至る道がなく、往復ともに藪こぎ。古墳は後円部が大きく掘り返されており、前方部にも穴が掘られている。盗掘をうけている。全体には50m前後の前方後円墳で、前方部先端が高く、前方部前端斜面が大きく作られ、前方部と後円部の接続部分が狭い特徴は、月桂洞古墳群、長鼓峰古墳、長鼓山古墳共通する。韓国的な前方後円墳。前方部先端付近に円墳があり、その他にも円墳が分布しているとのこと。韓国では珍しい前方後円墳と円墳で構成される古墳群。
 午後4時木浦大学博物館見学。1Fに甕棺を多数展示。2Fの展示はすべてケース内の古典的な展示潘南古墳群新村里9号墳出土の百済の冠の復元品を展示。

20040720
10時20分 仁川空港発 12時20分 仙台空港着
(文責 辻 秀人)
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