研究員紹介
柳井 雅也(教養学部地域構想学科)
経済地理学が好きな理由






1.子供の頃:思ったこと、知ったこと

 子供の頃、家は仙台駅の東口にあって、島崎藤村の下宿先から20~30mのところに住んでいた。父の方針で越境して東二番丁小学校に通った。その為か、「なぜこうも線路を挟んで街の賑やかさや雰囲気、ビルの数が違うのだろうか?」と不思議に感じる事が度々あった。後に「経済分断」(線路や道路が区切りとなって街の経済活動が制限される)と分かったのだが、当時はわからなかった。社会科が好きで、友達と大きな日本地図を広げて地名や、城当てごっこをしていた。中学は社会科クラブで、仙台市内の本寺、末寺関係を調べた。父は伝統こけしの蒐集家で3000本近くを集めていた。工人宅を直接訪ねるようにもなった。蒐集家ならわかるだろうが、盛秀太郎(青森県温湯)や岩本芳蔵(福島県中ノ沢)も友人として付き合っていた。私も彼らの家に連れていかれ、時々泊めてもらう事もあった。後に考えるに、ここでは作品の鑑賞の仕方だけでなく、分類(系統)する事の大切さも学んだように思う。


(やない まさや)
1977年 宮城県仙台第三高等学校卒業
1982年 福島大学経済学部卒業
1987年 法政大学大学院人文科学研究科地理学博士課程中退

 ㈱芙蓉情報センター
 (現・みずほ情報総研)
 桐蔭学園高等学校
 岡山大学文学部
 富山大学経済学部
     上記職歴を経て

2005年 東北学院大学教養学部地域構想学科教授
2.高校や大学・大学院時代に考えていたこと

 高校時代は、1の3分の1は0.3􀀀なのに、両辺に3を掛けると1=0.9􀀀となることにずっと「不思議さ」を感じていた。大学に入っても、この式が頭から離れず、1と0.9􀀀は、違いを同じと見なす(遷移するイメージ)か、違うとみなす(デジタル的)かと、勝手に置き換えて考えるようになっていた(後に、10進法表記の問題で、3進法表記なら3分の1は0.1になることがわかったのだが)。そう考えることで、歴史や地理をモノグラフ(デジタル:個別的)としてではなく、ある一定の法則性(遷移するイメ ージ)で捉える事のほうに合点がいった。あくまでも自分なりの解釈ではあるが…。

 また、微積分を地域の歴史や地域の構造に当てはめて考えることに、この時期気付いた。つまり積分で面積(空間)が求められ、更に積分(時間軸を追加)することで体積(歴史の重層性)が求められるという、アイデアが閃いた。逆に地域変化の平均変化率から微分係数を求めれば、地域変化の速度が分かり、更に微分すれば、加速度が・・・と勝手に考えるようになっていた。おかげで、地域における歴史の節目(変曲点)の意味や、歴史の積み重ね(時間軸)、私の専門の立地層(1次産業、2次産業などの産業の重層性の濃淡が地域ごとに異なる)という概念も疑似的だが理解できるようになった。

 このような「関心」と並行して、下平尾勲教授から、ある時、福島県90市町村の戦後からの統計(主に1次統計)を、市町村ごとに整理して欲しいといわれた。人口統計、農林水産統計、工業統計、商業統計、事業所統計等を整理するのだが、合併している場合は電卓片手に計算をして記入した。これは非常に時間のかかる作業だったが、おかげで、福島県の統計数値に関して大まかな知識がついた。また山川充夫教授からも、地域調査の大切さと学ぶ方法を教えていただいた。こうして、卒業論文は経済地域の把握に関する考察をテーマとした論文を書いた。いま読み返すと稚拙で赤面するほどの内容であるが、よい思い出となった。

 大学院では柳田國男の輪読を通じて文化地理学を勉強した。元々、経済地理学を勉強したくて法政大学大学院に進んだのだが、指導教官の山口不二夫教授は、「今年は文化地理学」とい って、筑摩全集を毎週1冊ずつ読むことになった。そこでは、伝説の造られ方や、生産様式概念から見た柳田民俗学の問題点等を自由に討議した。修論が終わったころ、山口不二夫教授より博士課程に進むことを薦められたが、1年で中退して岡山大学文学部に助手として務めることになった。

3.岡山大学、富山大学そして東北学院大学へ

 岡山大学では1年半、アメリカに滞在する機会を得た。そこでは、雄大なアメリカの自然を始め、大都市、小都市、村や町の構造、シアトルのボーイング社、先端産業の様子など、全部で40州を見て回った。各州議会と州立大学、アイビーリーグも訪問してキャンパス配置の共通性や特徴を考えたりもした。その後、研究環境を変えたいと思うようになった。

 富山大学時代は、地域づくりの仕事が多く舞い込むようになった。思い出深かったのは、北陸新幹線開業に合わせた富山駅前の再開発(後のコンパクトシティ認定につながる)と、北陸地域の国際物流戦略会議の仕事だった。地域の未来がかかっていると思うと自然に力がこもった。

 こうして、6年後に本学地域構想学科に移ってきた。周知の通り2011年の東日本大震災に遭い、被災地の地域復興を考える日々…。

4.理想と現実との「緊張関係」


 これを書いている今、ケルン大学に滞在中であるが、片時も大震災の事を忘れたことはない。

 小さい時の地域的差異(仙台駅の東西)の観察、連続・非連続の認識(地理的配置と歴史の重層性)、異質な空間の目撃(外国生活)、地域政策への関与、いままでの勉強と経験が被災地の復興に如何に活かせるかが試されている。確かに私は非力だが、そう考えて行動している。

 経済地理学は人間の平等(教育・就業機会の均等配置)を地理学的視点から目指す学問だと考えている。私が経済地理学を好きなのは、きっと、この理想(導き糸)と現実(地域の問題)との「緊張関係」を常に感じ取りながら分析を進め、ある時は構造的な課題を発見・指摘し、またある時は解決に向けた模索を行う、そういう学問的性格が好きなためだと思う。
                     これからも続けていく。(柳井雅也)


※ このページは、2015年3月刊行の『人間情報学研究 第20巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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