研究員紹介
菊地 立
(教養学部地域構想学科)
まちかどの環境をさぐる



  現在の研究分野は環境科学(大気環境)である。環境ということばは古くから用いられてきたが、環境科学という学問分野が一般的に認知されるようになったのはそう古くない。我が国では1980年代半ばから、それまでの「公害」が「環境」へ置き換えて使われるようになったと思われる。国立公害研究所が1990年に国立環境研究所へ名称変更され、これに倣って地方自治体の公害関係の試験研究機関が数年の間に次々と名称変更されたことがそれを表している。その結果、本来の環境という言葉の意味がかなり限定された特定の色を付けて使われることになり、その点に異議のある人も多いと思われるが、ここではその議論を割愛しマスコミ的な意味で「環境」を使うことをお許し頂きたい。

 ともあれ、私自身は「公害」の時代に地方自治体の研究員としてこの分野に入り、「環境」に切り替わるときに大学に移った。

 表題に上げた研究のルーツは、本学に赴任する前の千葉県公害研究所勤務時代に経験した調査にある。1970年代中頃のことで、当時は光化学スモッグが一種の社会問題となっており、これを押さえるために原因物質の窒素酸化物が注目され始めていた。たまたま、千葉市の住宅地に新しく大気汚染測定局を設けたところ、窒素酸化物が常識はずれの高濃度であることが判明して問題となった。原因究明に当たり、調査の企画を私が任されることになった。私は就職して4年目に入ったばかりで十分な知識も経験もなかったが、諸条件に恵まれ幸いにして求められた解答をなんとか出すことができた。それだけでなく、この調査から新たな研究テーマが次々と派生し、それを追い求めることによって学位論文(1979:東北大学)にたどりついた。

菊地先生の写真
(きくち りつ)
1962年 山形県立山形東高等学校卒業
1967年 東北大学理学部地学科(地理学)卒業
1969年 東北大学大学院理学研究科修士課程修了
1973年 同上博士課程満退
1973年 千葉県公害研究所勤務 技師
1989年 東北学院大学教養学部 教授

 私にとっては忙しくも楽しい時代だった。同時に、公害問題が新しい時代に入ったのだと言うことを痛感した。ごくありふれた住宅地域でとんでもない高濃度汚染が進行しており、その原因者はそこに住む住民自身である、という点でそれまでの大企業による「公害」と大きく異なり、我々に発想の転換を迫っていた。それからの約10年間は、工場起源の公害よりは都市域の交通公害に関連する調査研究、市街地や住宅地における高濃度汚染発生条件としてのローカル気象に関する調査研究が、私の担当する業務の中心であった。

 1989年に本学に赴任し、直後に仙台市中心部にあるケヤキ並木の総合調査に参加した。この調査は仙台市の協力のもとその後約7年間にわたって継続され、様々な角度から市街地の大気環境の動態をさぐり、多くの知見と経験を得ることができた。この調査では、千葉県時代の経験を応用して、定禅寺通りの大気汚染を立体的に把握する調査を試みたところ、上空の風によってビルの谷間で空気が回転し、自動車の排気ガスが充満することが捉えられた。そして、直近の一般環境測定局に比べて10倍以上、類似条件の市街地道路環境測定局に比べても2倍以上の高濃度を形成するという事実を確認し、その原因としてケヤキ並木の枝葉が路上空間の換気を阻害しているため、という結論を得た。このような大気の状態を市民も感じ取っているのか、定禅寺通りには立派な遊歩道があるが、新緑や黄葉の季節の晴天日でも、人々は足早に通り過ぎるだけでベンチに座る人はほとんどいない。市民にとってケヤキ並木の意味は何なのか。

 杜の都のシンボルとしてケヤキを大事にすることと、ケヤキによってそこの環境が悪化すること、排気ガスをまき散らす車に乗っているのは市民であること、これらは一体の関係なので、どうするかは市民自身が決めなければならない。

 大学から大学院にかけて、私は地理学教室で学んだ。地理学の中でも気候学が専攻分野である。しばしば気候学は気象学と混同されて受け取られることがあるが、気候学は任意の地域における大気現象を、地域の問題としてその地域の生活者の視点で見る学問である。例えば、東北地方という地域は太平洋と日本海に挟まれ、南北に3列の山脈をもち、海岸平野と多くの盆地が形成されている。人々の生活の場としては海岸平野と盆地が中心となるが、海岸には海岸の気候があり、盆地には盆地特有の気候がある。

 私の研究歴のスタートは東北地方の日本海側と太平洋側の降水量変動の地域差に関するものであった。その後、盆地における「寒さ」と「暑さ」について興味を持ち、宮城県南部の角田盆地、近年は岩手県の遠野盆地や本州一寒冷といわれる藪川などで気温低下の実態調査を試みた。対照的に、気温の日本最高記録を持つ山形盆地で、夏の気温上昇の実態調査も行っている。

 また、日本でもっとも広い面積を持つ関東平野では、千葉県勤務時代に大気汚染の研究現場として様々な課題について調査を試みた。関東平野では、海岸の小規模な海陸風、中部山岳地帯の影響による大規模海風現象、さらにスケールの大きい気圧配置に伴う循環系などが重層的に風系システムを構成して、多くの研究テーマを提供してくれた。これらは汚染物質の輸送拡散という意味で大気汚染の研究テーマであると同時に、平野の循環系および下層大気の立体構造という点で気候学の研究テーマでもある。また、海岸平野の典型例である仙台平野は、夏は海風が発達し、冬は季節風の強い地域である。このため仙台平野では防風林を兼ねた屋敷林が見事な伝統景観を形成している。1995年以降3年生の演習や4年生の総合研究を通じて、仙台平野の海陸風観測とともに、地方名でイグネと呼ばれる屋敷林の分布や、屋敷林による気候緩和機能、および大気浄化機能などについて実証的な研究を進めている。

 私自身は、直接目に見える範囲、手で触れることのできるような、こんな市民レベルの環境科学をこれからも追いかけていきたいと考えている。

※ このページは、2006年3月刊行の『人間情報学研究 第11巻』に掲載された記事を元にしております。その後、略歴や所属等に変更がある場合がございます。


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