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森有正(1)

    第13回講義  森 有正(もりありまさ)  1911〜1976年

 哲学者、フランス文学者。祖父は、文部大臣・森有礼であり、その息子が森明(牧師)であり、有正の父であった。森有正は、東京に生れ、2歳の時に、富士見町教会で植村正久から幼児受洗。東京高等学校を経て、1938年に東京帝国大学仏文科を卒業。パスカル、デカルトを中心とする17世紀のフランス哲学・思想を研究した。第2次世界大戦後、東京大学文学部助教授としてフランスの哲学、文学を講義。1950年8月にフランス政府給費留学生として渡仏。やがて東大を辞してパリに定住し、研究と著作の生活に入るとともに、パリ大学東洋学部や東洋語学校などの教授として日本文学や日本思想史などを講じた。
 渡仏前はドストエフスキーの文学に傾倒し、名著『ドストエフスキー覚書』(50)を出版し、その他、『パスカルの方法』(43)、『デカルトの人間像』(48)、『近代精神とキリスト教』(48)などを刊行した。渡仏後は、日本人の感覚と西洋の論理とを調和統合するユニークな発想を方法的に確立し、書簡や日記の形での独特の文体によるエツセーを発表し、日本人の西欧体験として従来見られなかった新しい思想と文学の表現の領域を開拓した。『バビロンの流れのほとりにて』、『流れのほとりにて』(59)、『城門のかたわらにて』(63)、『砂漠に向かって』(70)などにそれが結晶している。更にパリを拠点にヨーロッパや他の国々を旅行し、また日本にも時々帰国して講演し、その思索を深めつつ、特に日本と西洋との間にある様々な問題を自らの感覚を通して普遍的な「経験思想」として表現しようと試みた。いわゆる「経験の思想」、「経験の哲学」と今日呼ばれているものである。
 『遥かなノートルダム』(67)、『旅の空の下で』(69)、『木々は光を浴びて』(72)などにおいて経験思想がどのように深められていったかを知ることができる。未完成に終ったとはいえ『経験と思想』(77)は記念碑的な著作である。また若い日からオルガンの演奏を学んで、豊かな音楽的資質を発揮し、特にバッハのオルガン曲の奏者として優れた仕事を残している。
パスカル、デカルトなどフランス哲学の研究者として出発し、フランスに行ってからもドストエフスキーの作品を読み続けるとともに、パリ大学や東洋語学校で日本文学を講義する必要からも日本の古典、近代の文学を深く読み、そこから深い思想を創出していこうとしたところに森有正の文学者としての独特の意義があると言えよう。更に、全集に収められている滞仏中の日記が極めて重要であり、晩年にはカルヴァンの『キリスト教綱要』と『論語』を読んでいる。国際基督教大学の教授として迎えられることになっていたが、病気のためパリで客死。
森について多くの識者たちが、「経験の思想」についての体系的著作を遺さなかったことに不満を述べているが、「経験の思想」というその名のとおり、森は生き方そのもので、思想を表したかもしれない。
             
 1、『バビロンの流れのほとりにて』〔1957〕冒頭部分 (多少修正)   
                               以下<  >は野村の解説文
 パリにて1953年10月8日
 一つの生涯というものは、その過程を営む生命の稚い日に、すでにその本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか。僕は現在を反省し、また幼年時代を回顧するとき、そう信じざるをえない。この確からしい事柄は、「悲痛」であると同時に、限りなく「慰め」に充ちている。君はこのことをどう考えるだろうか。ヨーロッパの精神が、その行き尽くしたはてに、いつもそこに立ちかえる、ギリシアの神話や旧約聖書の中では、神殿の巫女たちや予言者たちが、将来栄光をうけたり、悲劇的な                            運命を辿ったりする人々について、予言をしていることを君も知っていることと思う。稚い生命の中に、ある本質的な意味で、すでにその人の生涯全部が含まれ、さらに顕わされてさえいるのでないとしたら、どうしてこういうことが可能だったのだろうか。またそれが古い記録を綴った人々の心をなぜ惹いたのだろうか。社会における地位やそれを支配する掟、それらへの不可避の配慮、家庭、恋愛、交友、それらから醸し出される曲折した経緯、そのほか様々なことで、この運命は覆われている。しかしそのことはやがて、秘かに、あるいは明らかに、露われるだろう。いな露われざるをえないだろう。そして人はその人自身の死を死ぬことができるだろう。またその時、人は死を恐れない。
 たくさんの若い人々が、まだ余り遠くない過去何年かの間に、世界を覆う大きな災いのなかに死んでいった。君は、その人々の書簡を集めた本について僕が書いた感想を、まだ記憶していることと思う。そのささやかな本の中で僕の心を深く打ったのは、やがて死ぬこれらの若い魂を透きとおして、裸の自然がそこに、そのまま、表われていることだった。暗黒のクリークに降り注ぐ豪雨、冴え渡る月夜に、遥かに空高く、鳴きながら渡ってゆく一群の鳥、焼きつくような太陽の光の下に、たった一羽、濁った大河の洲に立っている鷲、嵐を孕(はら)む大空の下に、暗く、荒々しく、見渡すかぎり拡がっている広野、そういうものだけが印象に今も鮮やかにのこっている。そこには若い魂たちの辿ったあとが全部露われている。しかもかれらの姿はそこには見えないのだ。このことは僕に一つの境涯を啓いてくれる。そこには喜びもないのだ。悲しみもないのだ。叫びもなければ、坤きもないのだ。ただあらゆる形容を絶したD?solation(絶望)とConsolation(慰め)とが、そしてこの二つのものが二つのものとしてではなく、ただ一つの現実として在るのだ。<殺風景な光景、無味乾燥に見える「可視的」世界の奥に、実は深い歴史とドラマがあり、さらに存在の深み(神秘)が宿っている。総称すれば、「可視的」世界(平凡)と「不可視的」世界(非凡)は両者で一つ…平凡なものの中に非凡を観る、である>
もう今は、僕の心には、かれらが若くて死んだことを悲しむ気持はない。この現実を見、それを感じ、そこから無限の彼方まで、感情が細かく、千々に別れながら、静かに流れてゆくのを識るだけだ。これは少しも不思議なことではない。極めてあたり前のことなのだ。ただたくさんのものが、静かに破り流れる光の波を乱して、人生の軽薄さを作っているのだ。人間というものが軽薄でさえなかったら…。
 僕を驚かすものが一つそこにある。いま言ったことは、人間が宇宙の生命に瞑合するとか、無に帰するとか、仏教や神秘哲学がいうしかじかのこととはまるで違うのだ。もっと直接で素朴なことなのだ。ライプニッツというドイツの哲学者が単子説〔モナド論〕に托して言っているように、この限りない彼方まで拡がってゆく光の波は一人一人の人間の魂の中に、さらにまたそれに深く照応する一つ一つの個物の中に、その全量があるものなので、あるいはそういうものが人間の魂そのものと言ってもよいかも知れない。しかしもうこういう議論めいたことは止めよう。つまり一人の人間があくまで一人の在りのままの人間であって、それ以上でも、それ以下でもない、ということが大切だ。

 紗(しや)のテュールを朕(は)めた部屋の窓からは、昨日までの青空にひきかえて、灰色がかった雲が低く垂れこめる夕暮の暗い空が、その空の一隅が、石畳の道の向う側にある黒ずんだ石造のアパートの屋根の上に見える。パリの秋はもう冬のはじまりだ。すこしはなれたところにあるゲーリュサック街を通る乗用車やトラックの音が時々響いてくる。小さいホテルの中は、何の物音もしない。本やノートを堆(うずたか)く重ねた机の前に僕はこれを坐って、書いている。これがすくなくとも意識的には虚偽の証言にならないように、ただそれだけを、念じながら。
人間が軽薄である限り、何をしても、何を書いても、どんな立派に見える仕事を完成しても、どんなに立派に見える人間になっても、それは虚偽にすぎないのだ。その人は水の枯れた泉のようなもので、そこからは光の波も射し出さず、他の光の波と交錯して、美しい輝きを発することもないのだ。自分の中の軽薄さを殺しつくすこと、そんなことができるものかどうか知らない。その反証ばかりを僕は毎日見ているのだから。それでも進んでゆかなければならない。
 考えてみると、僕はもう三十年も前から旅に出ていたようだ。僕が十三の時、父が死んで東京の西郊にある墓地に葬られた。二月の曇った寒い日だった。墓石には「M家の墓」と刻んであって、その下にある石の室に骨壷を入れるようになっている。その頃はまだ現在のように木が茂っていなかった。僕は、一週間ほどして、もう一度一人でそこに行った。人影もなく、鳥の鳴く声もきこえてこなかった。僕は墓の土を見ながら、僕もいつかはかならずここに入るのだということを感じた。そしてその日まで、ここに入るために決定的にここにかえって来る日まで、ここから歩いて行こうと思った。その日からもう三十年、僕は歩いて来た。それをふりかえると、フランス文学をやったことも、今こうして遠く異郷に来てしまったことも、その長い道のりの部分として、あそこから出て、あそこに還ってゆく道のりの途上の出来ごととして、同じ色の中に融けこんでしまうようだ。
たくさんの問題を背負って僕は旅に立つ。この旅は、本当に、いつ果てるともしれない。ただ僕は、稚い日から、僕の中に露われていたであろう僕自身の運命に、自分自ら撞着し、そこに深く立つ日まで、止まらないだろう。(後略)

  2、『アブラハムの生涯』日本キリスト教団出版局(1980年)    (抜粋)

 (1)、出発
 私が申し上げることは単なるキリスト教の宣伝ではございません。私はもちろん教会に属しておりますし、キリスト教の人間であります。人類の持っている一番古い古典の一つとしての旧約聖書、その中の創世記、またその中に出てくるアブラハムという偉大な人格の生涯、これを通しまして、私ども自身に一番密接している私ども自身の生活、私ども自身の生涯、また私ども自身が自分に対して持っている「経験」というものを振り返って見ながら、この話を致して参りたいと思います。最初に聖書の必要なテキストを読みますから、お聞き願います。これは創世記の12章4節から始まります。

   アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たと
  き75歳であった。アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た
  人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。アブラムはその地を通ってシ
  ケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。時に主はア
  ブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主
  のために、そこに祭壇を築いた。(12章4〜7節)

聖書のテキストは、これだけであります。今回の連続講演を「人間の生涯」と題しましたが、私がこれから五回に渡る講演の中で述べたいと思うことは、一人一人が持っている人間の生涯を構成している本質的な契機についてであります。一見致しますと、人間の一生というものは千差万別であります。何十億という人間がこの地上に存在しているのに応じて、それだけ多様な人生があるように見えます。見えるだけではなく事実あるわけであります。
 国を異にし、風土を異にするに従って、この多様性は一層深い本質的なものであるように見えます。そして事実単純な観察は、そういう考えを肯定しているように思われます。例えばこれは少しも単純な、思想家としてではありませんが、非常に優れた偉大な思想家、フランス十六世紀の有名なモラリスト、皆さん御承知の『随想録』を書き、その懐疑主義的な傾向を持って知られた哲学者であるミッシェル・ド・モンテーニュ、この人はそういう観察される事実、「人間の経験の多様性」、人間の一人一人の生涯がそれぞれ違ったものであるという事実から、人間の生活には一定の決まった型というものはない、一定の原則というものはない、また人間そのものが、こういうものであるということさえも形式的に言うことはできない、人間は各人が自分が是であると信じる道を行くことができる、ただその際他人の行く道も尊重しなければならない、ということを教えて、この近世のヨーロッパにおけるヒューマニズムの基礎を築いた一人となったのであります。 <いわば、平凡な人生というものはない、ということである> (中略)
 もう一つ人間にとってどうしても否定することのできない根本的な事実があります。それは人間においてはすべてのことは主観性を通して起こってくるという問題です。この主観性は主体性と言ってもいいのですが、私は主観性という言葉にまとめて使っております。サブジェクティヴィティー(subjectivity)という言葉です。パスカルが言っているように、人間のすべてのことは、主観性の問題として起こってくる。この主観性の問題というのは、いったいどういうことかと言いますと、人間は一人一人が自分の世界を持っているということであります。ただ見ますと、一つの世界があってその中に人間がたくさん住んでいるようであります。けれどもそれはある一人の人がそう見るのであって、他の人はその人の見地からこの世界全体を見ております。ですからその内容は多少違っているかもしれません。すなわち、それは言い換えるならば、人間は一人一人が自分の世界を持っているということです。たとえ自分がどんなに微小なものであっても、どんなにほかの条件に制約されたものであっても、自分の主観性というものを通らなければ、人間である私の中に何ものも入ってくることができない。こういう私どもが生きる世界、一人一人が持っている世界、それを私は「経験」という名前を持って呼んでおりますが、私どもの認識、判断、意欲、感情、それのみならず、更に対象になるすべてのものは、この私どもが持っている経験内での出来事なのです。どんなに客観的に見えるものでも、この経験における客観性なのです。それは経験における客観性であります。各自が自分の経験を持っていること、それが人間を、他の人間でない動物から区別するものであると共に、人間一人一人が他に対して自分であることを主張できる根拠でもあります。
 今詳しいことは申し上げませんが、この経験というものは、またもう一つ他の面を持っております。いろいろ違った人が違った経験を持っている。それでは一人一人が全く独立して相手のことは何にも分からないか、と申しますと、ごく簡単に言えば、私どもが持っている「言葉」というものによって相互に通じ合うことができるのであります。これはまた詳しく「言葉」ということでお話ししなければなりませんが、私にとっては、言葉というものは経験と同じだけの重みを持った人間の事実です。言葉というものは、ある意味で経験の中に含まれないと思うのです。もちろん行動の上で、言葉を使ったり聞いたりすることは、人間の経験だと言えますけれども、言葉の本質は、経験と同じだけ深く、経験と同じだけ高く、経験と同じだけの独立性を持っているのです。(中略)

 私がこれから申し上げることは、アブラハムに関することですが、それは決して旧約聖書研究の一部として、またあらゆる意味で学問的研究の興味の対象としてアブラハムを扱うということではありません。あくまで人間経験の透明化の一つの極致として、そこにたとえ貧しくても私ども自身の経験の照応すべき何ものかを読みとっていきたい、と思うのであります。
 このアブラハムという人を、キリスト教会はある意味でその本当の先祖、キリストその人の先祖とし
て、またキリストにおける信仰を予知した典型、すなわち信仰の祖として仰いでおります。しかしアブ
ラハムはそういう狭い意味のキリスト教というものをはるかに超えております。彼はユダヤ教徒にとっても、その霊と肉との祖であり、イスラム教徒にとっては、最初の大預言者でありました。仏教を除く世界の三大宗教が、その祖として仰いでいます。三大宗教とは、キリスト教、ユダヤ教、それからイスラム教です。しかも彼は、いわゆる教祖ではありませんでした。いかなる新しい宗教をも開きませんでした。古代の地中海世界、またメソポタミア世界の一隅を歩きまわっていた一族長にすぎませんでした。彼はキリスト教が起こる19世紀前、ユダヤ教の起こる数世紀前、イスラム教の起こる20数世紀前に、それらの大宗教が、やがて自分を祖として仰ぐであろうということを全く知らずに生きかつ死んだのであります。近代現代においても、このアブラハムの姿はいわゆる教会の神学以外の部門でも、その内外に深い印象を残しています。あのキルケゴールが残しましたアブラハムについての非常に深い省察を皆さん御承知だと思います。またドストエフスキーの小説の中には非常に深い感動を持ってアブラハムの姿が描かれています。
 ここでアブラハムの本当の経験が始まります。その前とはっきり色分けが違った新しい経験が始まります。経験ということについては、また別の場所で詳しくお話ししなければなりませんが、この端緒になるものを、「内面的な促し」という言い方で私は呼んでおります。それは文字通り内面的な促しで、その内面的ということの意味は、いわゆる瞑想的であるとか人づきあいが嫌いとかいうことでは全くなく、外からの影響や誘惑、成功とか立志とかお金とか、という人間的な顧慮、そういうものとは全く関係がないという意味であります。
 また内面的なものは、聖書によれば、「国を出て、親族に別れ、父の家を離れ」させるというもの、本当の意味で自分一個の発見に連なっているものであります。その時アブラハムの経験が発足すると共に、また急激に逆流致しまして、彼は父テラと共に数十年前にカルデヤのウルを出発した日のことを考えたでありましょう。彼は神の召しが、言い換えれば彼自身の内面の促しが、はるかに遠いその日にまで延びていくのを感じたと思います。それと共にそこに残ったナホルの姿も彼の目にまた映ってきたでありましょう。ナホルの妻ミルカ、その名前はこのバビロニアのスメルの月神礼拝に関係がある由でありますから、何かそういう関係で、ナホルはウルに留まったかもしれません。これもまた神秘の雲におおわれております。
 このようにして、今申しましたようにアブラハムは国も離れ、家も離れ、ただ一人、ロトを一緒に連れていきますが、やがてロトと分かれますから、石女の妻サライを連れて砂漠をさまよう身になったのであります。アブラハムのこういう「内的な促し」を外から支えてくれるものは何もありませんでした。創世記ではこの孤独な出発は、深い宗教的な意味を持たされています。しかし私は単にそこに宗教的な意味を読み取るだけではなくて、本当に深い人間の姿を読み取ることができるのではないだろうか、と考えます。もちろんこのようにいろいろ想像することは危険なことですけれども、また殊に宗教的な物語に勝手に人間中心的な解釈を施すことはすべきではありません。しかしもし逆に、アブラハムが出発したことが宗教的な意味があるとして、宗教の側からこの物語を自分の権威づけの理由として利用しようとしたならば、アブラハムの出発の意味がにわかに軽くなってしまいます。その意味において単に宗教だけが、本当に人間的な深い意味を持ったものを、主張できるものではありません。もちろん宗教はその中に含まれておりますけれども、それは決して宗教が利用すべきものではなくて、もっと広い人間的な意味をもっています。
 本当の人間が出発する時にはどうしても一人で出発しなければならない。本当の深い意味を蔵する物語は、すべてそういうふうな照応を可能にするものだと思います。パスカルはそれを「象徴」と呼んでおります。象徴は私どもの経験が深まると共にその深い意味を少しずつ私どもに示すようになるわけであります。これがまた人間ということの深い意味で、私どもはそれを人間的としか呼ぶことができない。またそれが自由ということの深い意味で、人間とか自由とかいうことを、私どもは軽々に口にしていますが、その意味を知ることができません。ただそういう事柄に対抗した時に、これこそが人間であり、これこそが自由であったのだということを悟るわけであります。そういう行き方でしか人間にも自由にも到達することはできない。人間は何だろうといくら探してみてもどこからも出てきません。アブラハムの物語の全体を通観致しますと、結局彼の一生全体が出発だったのだと思います。これから先も読んでいきます創世記の箇所に度々神が現われて、最初の出発の命令をもっともっと明確にし、更にそれを補充するようなことを述べています。これはアブラハムの出発の決意が、次第次第に詳細に具体的になっていったことと対応しております。アブラハムの出発は、結局本当の内的世界への、人間への、自由への出発だったと私は考えます。内的世界とか人間とか自由とか、いろいろ違った言葉でいいますが、みな同じことを意味しています。アブラハムは結局、出発の人で終わってしまって、モアブの地からカナンの地に至ることができなかったのと同じです。(中略)

(2)約束の地
 前回は「出発」という題で、アブラハムの一家がカルデヤのウルをハランに向かって出発し、更にアブラハムの父テラの死後、何年か経ちましてアブラハムが砂漠に向かって出発する、その箇所につきまして私の拙い思いを述べさせていただきました。今日は「約束の地」と題します。これは前回申し上げましたように聖書研究ではありませんので、聖書から霊感を受けながら私の感想を申し上げるわけであります。
 この前もちょっと申し上げたと思いますが、ある一つの経験というものが私どもの中に成立致します場合、私どもの内部には、そういうふうな経験が成立することへ向かっての内面的な促しというものが必ず起こってくるのであります。それは、もっとやさしい言葉を使いますと、憧れ、あるいは憧憬と言っても構いませんし、あるいは動機と言ってもよいわけであります。私どもをある目的に向かって動かしてゆく動因、一つのモーティヴェイション(motivation)であります。
 私ども一人一人も人生のある時期、殊に若い日におきまして、この内心の促しを強く感ずることがあります。しかしながらこれは若い日に必ずしも限ったものではありません。本来人生のいかなる時期にも、人間が人間として生きている限り、必ず起こり得るものであります。それが起こって参りますと、それに関係しているもの以外は私どもにとってどうでも良いものになってきます。かなり漠然としたものではあっても、ある特定の事柄が私どもの注意を引き、私どもを興奮させ、それに達することが人生の目的のように強く思われてくるのであります。これは私どもの各々にとって非常に大切なことでありまして、しかも非常に危険な時期であります。「内面の促し」は、それが本当の内面の促し、すなわち豊かな経験を結ぶようなものであることもあり、また一時の錯覚に過ぎないこともあります。
 しかし、この大切な内面的な私どもの心にうちに起こってくる促し、それが本当のものであるか、あるいは間違ったものであるかは、偽りのものであるか、それを決定する標準は客観的にはどこにも存在していない、これが非常に大切なことであります。私どもは何かをしたいと思う。あるいは何かに身をささげたいと思う。しかしそれが間違っているか、正しいか、何とかしてその答えを見出したいと思います。けれどもこの問題には客観的にはどこにもそれを決定する標準はありません。
 一つの世界があって、私どもがそこに安住しております。しかしその世界とは異質の、別の、今はまだ無い、しかしやがて来るかも知れない、その世界の影が私どもの中に射してくる。これが私が言う内面の促しであります。私どもの中にその別の世界の影がだんだんと濃くなってくる。今やっていることがだんだんと色褪せてくる。またつまらなくなってくる。私どもの心を満たさないようになってくる。こうしていると、毎日毎日がそのままではいたずらに浪費されているのではないだろうか、と思われる時期が起こって参ります。(中略)

 さて、前回申し上げました続きを追いまして、アブラハムへ戻りましょう。彼はこの前申しましたようなわけで「出発」を致しました。聖書は「行くところを知らないで」と言っておりますが、決してでたらめに出発したわけではありません。まず第一に主観的な理由があります。スメルのウルの生活が、雑然とした、あるいはつまらないもの、無意味なもの、あるいはいたたまれないもののように彼の中になってきたのではないでしょうか。彼のみならず彼の父親のテラ、またその一家の中にそういう空気が出てきたのではないかと思います。これは、すべての内面的促しを受けた者が共通に経験することであります。私どもが何か学校で勉強していても、急にそれに対する興味がなくなる、それは勉強がいやになったのではなくて、自分は今、現にこの時に、自分の生涯のこの時期に、こういうことをやっていていいのだろうかということが必ず起こってきます。これは私にも、非常に強い形で起こって参りました。
 放浪に出てからのアブラハムの生活をみますと、何人かの学者が指摘しておりますように、ウルの習俗と習慣というものをアブラハムも最後まで、若干保持していた形跡があります。しかしながら、ウルの習俗の中心であった、月神を拝む、あるいは月そのものを拝む、という異教信仰は片鱗もなく、主と呼ばれる神が彼の礼拝の対象となり、彼はある一つの場所に定着すると必ず、そこに祭壇を築いてこの神を礼拝しております。すなわち、些細なことを除いては、彼は全くウルとは関係のない生活を送っているのです。
 その出発そのものと、この変化と、こういうものが、彼の中に起こってきて、何故彼がこの偶像教の中心であった大都会をうとましいものと感じるようになったかということが暗示されているように思われます。しかし、それだけでは出発の準備として十分ではなかったのです。また彼の大きい決意というものを説明するのには十分でありません。このように長期に渡る決定的な出発には、もっと別の、いわば客観的要素があったはずであります。
今からもう4000年前と推定される古代史のある時期から相当長い期間にかけまして、私どもが歴史によって知っているように、インド・ヨーロッパ人が地中海の沿岸に進出して参ります。その波状の出現の前に、セム人種その他の人種が様々な移動を行ないます。アブラハムの一族の移動は、そういう長期に渡る、しかも慌(あわただ)しい民族移動の一環だということもできるかも知れません。けれども私が客観的と言っているのはそういう意味ではありません。私がここで客観的な理由と申しますのは、それはアブラハムの中に次第に形成されていった経験の世界そのもの、更に言い換えるならば「約束の地」ということです。
 「約束の地」があればこそ、彼はあの大きな出発をすることができたのです。これがあって初めて、アブラハムの内的促しは、その正しい対象を得ることができるわけであります。シュヴァイツアーも決して単に自分のやっていたものを捨てて、勝手に自分のやりたいことをやったわけではありません。暗黒大陸と言われていたアフリカの暗澹たる黒人たちの運命と、その中に参与したいという自分の願い、そういうものが彼には約束の地として、彼の内的促しの客観的な対象となってきたわけであります。約束の地というのは、アブラハムとその子孫たちとに神がやがて賜うべき地でありまして、具体的にはパレスチナの西側、地中海に接する今のイスラエルです。今のイスラエルよりもう少し南の方かも知れません。それはシュヴァイツアーの場合のように非常に具体的に観念されております。例えば、アブラハムの父のテラがカルデヤのウルを出るときにすでに、このカナンの地というものがその目的地としてそこに描き出されています。そこで、彼と彼の子孫たちとは、ウルとは違って、ウルのような偶像崇拝の空気に少しも妨げられずに、自由に彼らの神に仕えることができるわけであります。こういう主観的なまた客観的な、客観的と言いましても非常に深く、これは主観の影を宿しておりますが、そういうものによって出発して行ったわけであります。
 しかし、ここで私どもが注意しなければならない大切なことは、その出発そのものと同じく、この約
束の地はアブラハムの中でゆっくりと、あらゆる試練を経ながら現実の目的となっていったことであり
ます。
 私どもがすでにこの前見ましたように、その出発そのものがすでに単純なものではなかったのです。古代異教世界から、イスラエル民族とその宗教が分離して参りましたのは、こういう長い、おそらく数え尽くすことのできない程の歴史を、重くその背後に担っている一個人の働きの中に結晶したように思われるのであります。このことは、私どもがある一つの内面の促しを覚えます時にやはり深く考えなければならないものを含んでいるように思います。私どもには本当に熟した、あるいは本当に私どもの存在を根底から動かす「約束の地」があって、そこに向かって私どもが内面の促しを感じているだろうか。
 私は、この講演においてアブラハムの物語を人間経験の最も偉大な例として、その見地からできる限り理解しようと試みておりますが、この物語の意味がそれで尽きるとは少しも思っておりません。ただ、私の力の及ぶ限りしかお話しすることができませんから、それでどうしても人間経験の非常に大きな典型として考えておりますが、このアブラハムの経験が、私の貧しい経験をもって尽くすことができるとは少しも考えていません。それはむしろ、経験が尽きる、その地平線のはるか彼方に広がっているもう一つの大きな世界を指しております。これは私どもは決して忘れてはならない。これを忘れない時に、私どもの経験というものが、本当にその本来の重みと、その本来の力とを発揮することができるのであります。事実、経験そのものがすでに、その根源において神秘の雲に包まれています。私どもは考えてみれば、この一人一人の経験を持っている私ども自身がどこから生まれてきたのか分からない。また、どこへ行くか分からないように死んでゆく。もう私どもの手に触れうる経験そのものが、一つの神秘に包まれているのです。
 私は、ある人が、これは大変に尊敬に値する方でありますが、お釈迦様とか、それから孔子とか、そういう人たちの言い、書き残したものを読んで、整理して、これは仏様の教説である、これは孔子の倫理思想である、というように非常にまとまった学問的な論文を書いたことがあります。それで私にそれを下さいまして、その方は私より少し後輩に当たる人で、私に意見を求めました。その時私は申し上げたのです。私は学問的に、そういうものを批判する資格は全然ないのですけれども、その本を見ると、仏様も孔子もみんな分かってしまうのです。どういう原理から出発して、どういう説を立てて、どういう論理がそれを支配しているか、非常に手に取るように分かる。けれどもそれは、それを理解した人の経験から出てくるものにすぎない。ところが、釈迦とか、ソクラテスとか、そういう人がどういう経験を持っていたか、どういうものを見ていたか、それを私どもは決して知ることができない。彼らの書いたものから察しますと、人間の経験にはすべて肉眼で見るように地平線がありますが、その地平線から先はどうしても見ることができないのです。ところが、高い山があって、その上に人が立っています。それは私どもの見ることのできない地平線の向こうを見ています。その向こうを見ている人が、何かを言ったり書いたりすると、私どもはそれを理解しますけれど、その中に私どもの理解を超えるところが出てくる。それは私どもの見ないものを見ているからです。それを私どもの知恵でもって一つの理論の体系にしたり、組織したりするということは間違いです。むしろそういう私ども人間の経験の、限界である地平線の上に立って、その向こうを見ている人が何人かおりますが、その人から私どもはただ謙遜に学ぶ以外には何もできないのです。
 ここで一つ、これはこういう問題とは直接関係はないのですけれども、十四、五年前に死にましたアランというフランスの偉い哲学者がおります。皆さんもその全集が日本で出ておりますから、お読みになった方が非常に多いと思います。そのアランが書いております。「すぐれた人の本を読む時に、私のただ一つの方法がある。それはその書いたものは決して間違えていない。間違いを絶対に含んでいないという確信のものとにその本を読みだす」と。そうすると、私どもが自分でもってその本を判断しようとして読んだ時よりも、実に多くのものがたくさん分かってくる。この本に書いてあることは正しい。もし分からないことがあると、その人が書いたいろいろな本を読んで、その分からないことを理解しようとする。その時に私どもは、それまで私どもはそういう細かい日常の生活の中で、その促しに動かされてある目的を与えられ、それによって自分の生活を組織します。このことは、本当にこの創世記の中で言われたように、「自分の国を出て、親族に別れ、父の家を離れ」なければできないことです。親族というのはこれはもちろん象徴的な言い方です。いつまでもめそめそ親のすねをかじっている。人は皆親類のような気がして、いつでもすがれるように思っている。あるいは自分の国にいると思って安心している。そういうところを全部断ち切って、本当に自分の中に自分の経験と促しと、そしてその目的と、そのもののために生きてゆく時に、人間は全く一人の新しい人間になる。世界中の人が一人一人、アブラハムのような歴史を作るようなことをすることはもちろんできません。私どもは私どもなりに、学校で教えたり、あるいは学校で習ったり、あるいはその他のささやかな職業を持ちながら、しかもその中に一人一人が本質においてはアブラハムと同じような生活を送ることができるのではないだろうか、と私は考えております。
 ですから、この道というものは、古代も中世も現代もないので、何事にも換え難い私どもの一人一人の出来事があるだけです。この次元に立つ時に、アブラハムの生涯というものは限りなく現代的な意味を持っている。また私どもの生涯は限りなく、古くからの人間の原初の姿を宿しています。 (森1終) 
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